2022年10月20日木曜日

五島美術館 ギャラリートーク(訂正あり)

世田谷区上野毛あたりの川歩きをした後は、この日の本来の目的である五島美術館のギャラリートークに参加しました。

五島美術館は東急電鉄の元会長・五島慶太の構想により1960年に開館された美術館で、多くの美術品が所蔵されています。

この日の展覧会は「秋の優品展」でしたが、テーマは「禅宗の嵐」でした。古えの写経や絵画が多数展示されていましたが、その一角に「特別展示」として国宝・紫式部日記絵巻の3枚が展示されていました。

「紫式部日記」は、「源氏物語」の著者である紫式部が、平安時代のある1年間の様子を書いた日記です。

ただし日記と言っても、現在の私達が毎日のことを記すような日記ではありませんでした。

中宮彰子(藤原道長の娘)に仕えた紫式部が、中宮の息子の出産の様子や、道長たち平安貴族の生活を描いたもので、記録文学というかエッセイというか、そういうたぐいのものです。また書かれた時期も連続していなくて、中宮を中心とした宮廷の様子が綴られています。

そして今回、五島美術館で展示された「紫式部日記絵巻」は、紫式部が書いた日記をおよそ200年から250年後の鎌倉時代に絵巻として作ったものです。

ということでこの絵巻は、紫式部本人も見たこともないものです。

絵巻は10巻ほどあったと言われていますが、時代とともに紛失したのか、現在あるものは4巻分となっていて、その一部を五島美術館が所蔵しているのです。

絵巻は絵の部分と、文章の部分が交互に書かれています。文章の方は後京極良経という人のものだとと言われています。歌人としても優れていましたが、38歳で亡くなっているそうです。

絵画は、誰が描いたのかあまりよく分かっていませんが、藤原信実という画家だと言われていうるそうです。

この絵巻の中には紫式部本人と思われる人物も描かれています。

第二段の絵には、中宮が出産した敦成親王も描かれています。

面白かったのは、この絵巻の中に描かれている几帳に連なる「くち木文様」という文様が、現在は美術館の光天井に使われていることです。またこちらの入場券にも描かれているのでした。平安時代の文様が現在も生き続けているのは、素敵だと思いました。

そして今回の目玉は、その絵を加藤純子さんが原画に忠実に再現されていました。とても鮮やかな色で、また草花などの描写もとても細かくてびっくりしました。特に水色が美しく、印象的でした。古めかしい国宝ですが、再現されたものはとても鮮やかでした。

★以前のブログでは原画の復元模写をされた方のお名前を「中村純子」さんと書いてしまいましたが、正しくは「加藤純子」さんです。お詫びして訂正いたします。

ギャラリートークでは、紫式部の家系や略歴がわかりやすく紹介されました。

彼女は父や祖父のころから漢詩や和歌で有名な家系に育ちました。そして父親が越後守に就任した時、紫式部もその赴任先に同行しました。

その後、オールドミスになる手前で結婚をして、女の子を出産しましたが、夫が急死してしまい、そのころから源氏物語を書いたのではないかと言われています。

その後、一条天皇の中宮である彰子のもとで、中宮の家庭教師のような存在として働き始めました。そして彼女の書く源氏物語は宮中の女房たちの間で評判となり、天皇の目にもとまり、彼女は宮廷サロンでは有名女房となったのでした。

そしてその後、中宮の出産を記録として残しておくために日記を書くことになりました。

その中には、ライバルと目されていた清少納言のことや、他の女房たちのこと、藤原家の人々のことも書いていたのでした。

こちらはギャラリートークで使われた資料ですが、当時の人物の名前も書かれていました。千年前の事実が、現代でも見られるというのは面白いですね

ギャラリートークを聞いた後は、五島美術館のお庭を散策しました。

広々とした庭には、さまざまな植物が植えられていて、また灯籠や石仏などが点在していて、散策にはちょうどよいところです。

庭には「富士見」という場所があり、そこからは富士山がよく見えるところだったのでしょう。

すすきが美しい場所で記念撮影。

今回ご一緒したお二人は、日本の伝統文化や芸術に造詣が深く、展示物を見る目も違っていました。お着物もとてもシックで、五島美術館の優雅な雰囲気にぴったりでした。


私は川歩きの予定もあったので、気楽な紬着物でした。


後ろ姿も写していただきました。たたみジワがついていますね。

めったに拝むことのできない国宝を拝見して、ギャラリートークも分かりやすく、有意義な五島美術館でした。

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「一日一句」

絵と文で 紫の人 生き続け


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