平岩弓枝さんの「かまくら三国志」(上・下)を読みました。
「三国志」というのは、本来は古代中国の群雄割拠の時代の物語なのでしょうが、あいにくとそちらは読んでいません。
題名にある「かまくら」というのは、もちろん鎌倉時代という意味ですが、この小説の舞台になったのは頼朝亡き後の鎌倉ということで、息子の頼家、その子供たち、そして政子の実家の北条家の人々、頼家の奥さんの実家の比企家の人々、などいろいろな人物が登場しています。
それにしても、いわゆる源家の鎌倉時代というのはほんのわずかの期間だったのですが、こんなに有名になったのは、なぜなのでしょうね。
公家や貴族などの時代から武家の台頭という時代の変化があったことがその理由のひとつともいえますが、実際の鎌倉時代には、頂上の権力を目指して、親兄弟の間の血なまぐさい殺し合いや闘争、いやらしい思惑が次々と溢れ出てきます。
日本人も戦闘が好きだったのだなと思わざるをえません。
そんな時代だったのに、どうしてか「鎌倉」という名前を聞くと、美しい情景が浮かび上がってきます。
物語は、そのような混沌とした武士間の争いに加えて、上方の上皇やら、武士たちの恋人たちがくんずほぐれつといった感じで登場するので、誰が誰だか分からなくなるほどです。
そういうことが「三国志」という題名になった理由でしょうか。
昔、学校で習った、和田氏とか畠山氏とか三浦氏とかいう名前の御家人たちの名前が登場してくるので、そういう意味でこの小説を読むことによって、日本史の復習にはなりました。
また当時から水軍というのがかなり発達していて、日本各地や南の方へ行くには、船を利用していたというのも、この小説で教えてもらいました。
また平家の時代からも日本と宋の交易は盛んに行われていましたが、この時代になるとそれがいっそう華やかになっていったことも分かります。
この小説を読むと、そういう時代背景がよく伝わってきます。
鎌倉や武蔵の国の風景も描かれているので、関東人としては親しみが湧く舞台設定ですね。
お話は、頼朝の隠し子だった智太郎という人が主人公です。
彼は、頼朝がまだ政子と知り合う前に他の女性に産ませた子供ですが、通説では、幼児のころに殺されたことになっています。
ところがこの小説では、殺されたのは別の子供で、それを隠して育ての父親が京都で育て、そしてその親の死後に、白拍子である姉と一緒に鎌倉にやってきます。
顔は若い時の頼朝に瓜二つ。
彼は実力のない頼家よりもずっと頭脳明白、器量も大きく、性格も良いので、この隠し子を次の大将にしようという人たちにかくまわれ、鎌倉の北条家と戦うのですが・・・・。
とにかくいろいろな人物が登場します。
実在の人物もいれば、「猫(みょう)」と呼ばれる訳のわからない架空の中国人もいたり、若い魅力的な女性もたくさん。
それで話がこんがらがってしまうのですね。
この小説は平岩さんがまだ30歳代のころに書いたものなので、「御宿かわせみ」などの優しい雰囲気とはだいぶ違いますね。
政子にしてもイヤらしい姑根性の女性として描かれていて、私がこれまで読んできた鎌倉時代のお話とはだいぶ違います。
でも小説家というのは、死んだはずの子供を生き返らせたりして、いろんなことを想像して、そうやって小説練り上げるものなのだと思いました。
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