2016年11月18日金曜日

「家康の母お大」~三河に木綿を広めた女性~

現代では、誰でも木綿の衣類を着ることができ、Tシャツやジーンズなどの木綿製品はどこでも手に入れることができますね。
ところが、江戸時代以前の日本では、木綿は普及していませんでした。
当時の庶民の衣類は麻でした。
高貴な人は絹の着物を着ていたのですが、庶民にとっては絹は高値の花であり、木綿を着るようになったのは江戸時代になってからのことだと言われています。

木綿は麻に比べると、丈夫でしなやかで肌触りが良く、江戸時代には各地で生産が広まって行きました。

その木綿はどのようにして日本に入ってきたのか、定かではありませんが、一説によると「渡来人が三河に漂着して、彼らが天竺から種をもたらし、木綿作りは三河から広まった」という説があります。

そのようなことは何となく知っていましたが、こちらの小説を読んで、ああそうだったのかと気付かされたことがありました。

その小説というのは、私の好きな作家さん・植松三十里(みどり)さんの「家康の母お大」という歴史小説です。


徳川幕府を築き、そして江戸時代の幕を開けたのは、言わずと知れた徳川家康ですが、彼の実の母はお大という女性でした。

お大は当時の刈谷の戦国大名・水野忠政の娘でしたが、14歳の時に岡崎の松平家に嫁ぎ、家康を産みました。

ところが実家の水野家が織田方に寝返ったため、今川方だった松平家からは離縁させられ、息子を置いて実家に戻されてしまいます。
当時は嫁の立場というのは、そういうものなのでした。
政略結婚の人質であったわけです。

その後、実家の実権を握った兄からはうとまられ、久松という弱小大名のもとへ再婚させられます。
そして、彼女は松平家に置いてきた実の息子・家康を遠くから見守りながら、彼の成長を見守り続けたのでした。

お大は当時の人としてはかなり長生きをして、75歳くらいまで生き延びました。

この小説は、そのお大の波乱万丈の生涯を描いたものです。

小説の中には、彼女の生まれ故郷や嫁ぎ先の三河地方、岡崎、刈谷、浜松、そして江戸などのことも描かれています。

その中で私が面白かったのは、木綿についての逸話です。

お大は実家の兄からは邪険に扱われていたため、与えられた屋敷は幽霊が出そうな陰気な場所でした。
しかし彼女はそこの敷地で、実母から送られてきた「わたのたね」というものを畑に撒いて、気をまぎらわせることにしました。
お大は農家の女たちを城に呼んで、綿花の育て方から糸の紡ぎ方まで教えてもらいました。
城内では糸紡ぎが流行したということです。
そして侍女たちが機織りをして、紡いだ糸を布にしました。
木綿は絹よりも糸が太いので、織り上げる時間も短縮できました。
そして肌着などに縫い上げたという話が出ていました。

その当時は、綿花は南三河から岡崎あたりまでしか普及していなかったそうですが、お大が種を撒いたことにより、刈谷でも木綿作りが広まりました。

お大は大名の奥方であるのですが、みずから畑を見回り、害虫をみつけては退治したと書かれていました。

綿の種を取る作業や、綿打ちの作業、糸を紡ぐ場面もきちんと描かれていました。

これは小説ですので、どこまでが真実で、どこからが作家の創作であるかは分かりません。
しかし私は家康の母がそのような作業をしていた、ということにとても感動しました。

彼女は自分で織り上げた木綿の肌着を特別なルートで、熱田に人質となっていた家康に渡すことができました。
そのことにより家康は母の愛情を強く感じることができたのでした。
木綿の肌着という小さなものを通して、家康の心に母を思い出す気持ちが宿ったのかもしれません。

そういう意味で、この小説は、単に戦国時代を生き抜いた女性の話というだけではなく、木綿の普及ということまで及んでいて、非常に面白い小説だと思いました。

三河の女性たちの紡いだ糸のおかげで、現代の私たちも木綿製品を着用できるようになった、という流れがあるのかもしれません。

歴史小説の読み方はいろいろあると思いますが、着物に関する場面がある小説は、私にはとても興味深く読めるのです。




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