さて、だいぶ前の事になってしまいましたが、2025年4月の春休みに、川崎平右衛門さんの偉業を追跡してきました。
瑞穂市到着の2日目です。
市内には宿泊施設がないので、東隣の岐阜市のホテルから朝早く出発。
大垣行きの東海道線に乗りました。「穂積」駅で下車しましたが、やけに若い男女が多く下車しました。不思議に思っていると、ここには朝日大学というのがあるのですね。この大学は以前は岐阜歯科大学という名前だったそうです。それで大学へのバスに若者がたくさん並んでいたのです。
こちらは穂積駅前にあった案内板の写真です。
その説明には「この地域は、海抜5~6㍍の低湿地であるため、出水の度に長良川の逆水により川沿いの村々は苦しんでいました。1749年(寛延2年)、幕府直轄地の本田代官に赴任した川崎平右衛門定孝は、この惨状に心を痛め、閘門樋設置のため、幕府へ働きかけ、ついに1757(宝暦7年)、牛牧閘門樋が完成しました。なお現在の閘門は1910年(明治43年)に築かれたものです」と書かれていました。
ここに行くかと思うと、ワクワクしました。
ちなみに「閘門」というのは、「こうもん」と読むのですが、ウィキペディアには、「水位の異なる水面をもつ河川や運河、水路に設けられる船を通航させるための施設」という解説がありました。
そこへ行くため、「かきりん」という市内なら100円で乗れるバスに乗りました。市内のお年寄りは無料だそうです。
どうして柿のイラストかというと、瑞穂市というのは富有柿の発祥地だそうで、それで「かきりん」なのでした。
そしてぐるっと大回りして、五六川の閘門近くで下車しましたが、あたりは普通の住宅ばかりでこんなところに川があるのかとあちこちウロウロしました。ようやく土手のような道を歩き、しばらく行くとそれらしき風景が見えました。
土手には菜の花がきれいに咲いていました。
土手のポールには「国土交通省木曽川上流」という文字が見えました。「五六川」も見えますね。
そして閘門を発見。こちらは明治時代に作られたものです。想像していたものよりも小さかったのですが。
閘門の近くに建てられていた説明板です。
この閘門の上の方には、平右衛門を祀った「川崎神社」がありました。
ちょうど橋の様子を調べていた工事関係者の方(上の写真に写っていますね)がいたので、記念に撮影してもらいました。
その後は川に沿って北の方へ歩きました。のんびりした土手でした。
土手は周囲よりも高くなっていて、両側には川が流れていました。桜もチラホラ咲いていて、たまに散歩する人とすれ違いました。
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