2011年3月31日木曜日

クロッカス

3月21日のブログで、「クロッカスは全部黄色だった」と書いたけれど、あれれ、ちゃんとブルーや白のクロッカスも咲きました。


カラフルなクロッカス、嬉しいな。

それにしても町はお店も駅もどこも薄暗くて半分死んだようです。

通勤途中の駅にある丸井に寄ろうとしたら、なんと18時閉店ということでお店は完全にシャットアウトでした。

どこでも電力不足なのは分かりますけれど、そんなに自粛モードにならなくてもいいのにと思ってしまいます。

楽しみにしていたイベントや展覧会もみんな中止になり、家で大人しくしていますけれど、これでは日本の経済も滞ってしまい失業者も増えてしまうのではないのかしら。


せめてカラフルなクロッカスで楽しみましょう。

2011年3月30日水曜日

「ことぶき」

  ことぶきの

  鶴と亀との齢けれ

  変わらぬ色の

  ときわなる

  松と竹との

  すえかけて・・・・・

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はい、これが私が習っている日舞の唄です。
とてもおめでたい曲だそうで、結婚式などでお祝いに舞う曲なのだとか。

2月から習い始めて今日で5回目かしら。

ようやくなんとなく分かるようになりました。

でも手足の振りを気にしていると扇の持ち方がおかしくなるし、扇を気にしていると、顔の向きが分からなくなってしまいます。

春らしくなったので、淡い色の着物を着て行きました。


帯は紫色の無地。


神社の骨董市で買ったので、着物と帯で合わせて2500円にまけてもらったものです。

でもこの「ことぶき」は男踊りという種類で、足をがばっと広げて座ったりするので、もうちょっと渋い色の着物の方が似合ったかもしれないわ。

先生はいつも焦げ茶とかチャコールグレーの落ち着いた素敵な着物で踊っています。

来月からは女踊りといって、もうちょっと可愛らしい振りの踊りをするようです。足をいつも内またにしてかがんで踊るのだとか。

でもとても楽しいクラスですよ。

2011年3月29日火曜日

「蜻蛉日記」

大地震災害や放射能汚染の危機だというのに、悠長に古典文学でもないのですが、普段通りの生活にするのがいいと思って、あえて平安時代の女性の日記を読んでいます。

「蜻蛉日記」といえば藤原道綱母という人が平安時代に書いたということくらいしか知らなかったのですけれど、田辺聖子さんがこの本について詳しく講演したものが本になっていたので、読んでみました。

「田辺聖子と読む蜻蛉日記」


この「蜻蛉日記」は源氏物語と同じ頃に書かれたものだと思っていたのですが、この本の著者と紫式部とは35年くらいの年の差があり、紫式部のほうが後時代の人だそうです。

それで面白いことに、この蜻蛉日記の中に書かれていること(ノンフィクション)を紫式部が物語の素材として利用して源氏物語の中で小説として使った部分があるそうで、へーと思いました。
たとえば昔、頭中将が身分の低い女性に産ませた子供(九州に住んでいた)を、光源氏が自分の娘として引き取った話(玉蔓)などは、実際に蜻蛉日記の中に書かれていたそうです。

この蜻蛉日記の著者は「道綱母」ということで固有名詞はないのですけれど、旦那さんは藤原兼家という人でなんとあの藤原道長のお父さん(母親は別の女性)だというのですから、びっくりでした。

この夫はかなり上流世界まで出世をしたそうですけれど、息子というのはどうも駄目息子だったようで、個性の強いお母さんに育てられたマザコンだったみたいですね。

この日記には「夫が他の女性のところにいってばかりで私のところには全然訪れてくれない」ということが切々と書かれいて、この歌は百人一首にもあって有名ですよね。

  「なげきつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」

当時は夫婦は結婚しても同じ家に住むことはなく、夫が妻のところに通ってくるという形式だったので、ひとり寝の淋しさが伝わってきますね。
特に蜻蛉は妹と同居していて、その妹の旦那はしょっちゅうやってきたんですって。それを横目に見ながらそんな歌でも歌ったのでしょうね。

いつの世も、ただ待っているだけではつまらないのですよね。

それにしても田辺聖子さんの古典に対する知識や好奇心がものすごく旺盛で深いことには関心しました。

この「蜻蛉日記」は原書で読むとものすごく難しいらしい(源氏物語よりもずっと)なので、田辺さんの力を借りて読んだ気に慣れたのはラッキーでした。

2011年3月28日月曜日

私たちにできること

普段は仕事のことはあまり触れないので、あちこち旅行に出かけたり、着物を着たりしている私のことを
「あの人、いったい何をしているのかしら?」と思う人もいることでしょう。

今日はちょっと仕事がらみのことを書いてみました。


今回の大震災で、みなさんそれぞれ募金をしたり節電をしたりされていると思うのですが、私は自分の仕事の上でも何か役に立てることはないかと思っていました。

私はある学術団体の秘書をしているのですが、この団体では日本全国各地の大学や研究機関の研究者たちにいろいろな情報提供をしたり、学生への助成などをしています。

とても専門的な分野の団体なので、難しい用語や英語や数字が飛び交い、門外漢の私にはこの研究がどこまで世の中の役に立つのかよく分からないのですが、それでも全国大会を開いたり、学術雑誌を発行したり、いろいろとお手伝いをしています。

その仕事はほとんどがネットワークを頼りにしているので、今回のような停電が続くと仕事にならず、自宅で作業したりしていました。

今日、ある関西地方の先生から「私たちでも何か役に立つことはないのだろうか」という提案があり、私も「この団体には東北地方の先生も多いので、まずは安否確認、そして会長からのメッセージを伝えてはどうでしょう」と返事をしました。

そして会長にメッセージを書いてもらい、それをメーリングリストで配布しました。

また私は学術雑誌の電子化という仕事もしているのですが、これは万が一、津波などで手元にある雑誌が紛失してしまっても、インターネット上でそれが閲覧できるわけで、そのような場合には電子ジャーナルは役に立つものと思いました。

私たちができることは小さなことかもしれませんが、少しでも被災者のお役に立ち、そして研究者の方には将来もちゃんと研究が続けられるように祈っています。

2011年3月27日日曜日

お誂え

ここ1年ほど、急に着物趣味になった私。

身体が小さいので、昔のリサイクル着物で十分間に合うので、洋服を買うよりずっと経済的です。

ところがここに思わぬ難関が・・・・。

というのは、着物には草履がつきものなんですけれど、小さい草履というのはめったにお目にかからないのですよ。なにせ、靴のサイズは22センチか21.5センチなので、いつもは普通サイズの草履をパタパタさせて歩いているのです。

Lサイズの履き物というのはあちこちに売られているのに、どうしてSサイズはないのでしょう。

ところがある着物雑誌を読んでいたら、素敵な履き物屋さんが新宿の伊勢丹に出張をしていて、そこでぴったりの履き物を誂えてくれるというので、先日、伊勢丹まで出かけてきました。

こちらがその雑誌。


四国の「黒田商店」というお店の方です。

このお二人はご夫婦なんですけれど、腕の立つ職人さんと粋なおかみさんという組み合わせ。

私の悩みを良く聞いてくださり、そしてぴったりの履き物を探してくれました。

1時間ほど買い物をしている間に、鼻緒をすげてくれました。

家に帰り、箱を開けました。この瞬間が嬉しいですね。


「御誂」の文字が目に飛び込みます。


これがそのお誂えのSサイズの履き物ですが、これ、実は下駄なんです。草履に見えるでしょ。


台は黒のように見えるけれど、濃紺です。

鼻緒はあっさりしたものがよかったので、私が自分の趣味で選びました。なんでも男性のアスコットタイの生地だそうです。
そして「つぼ」という鼻緒を抑える部分はおかみさんが薄紫色を選んでくれました。

桐でできているので、すごく軽いの。
裏にはゴムが貼ってあるので、足音は全然しません。だからお芝居でも美術館でもOKですね。


おかみさんが、左右を分かりやすいように、「右」と書いてくれました。

この下駄なら、小紋でも紬でも浴衣でも何でも大丈夫と言われました。


そして一番いいことは、いくら歩いても全然足が痛くならないこと。

こちらのおかみさんは整体も勉強しているそうで、その人に合った履き物を作ってくれるそうです。

ちょっと高かったけれど、初めて誂えたこの履き物、大事に使いたいわ。

2011年3月26日土曜日

「琳派」 最終回

去年の11月から始まった琳派のお勉強も今日が最終回でした。

安土桃山時代の狩野派からスタートして、俵屋宗達、尾形光琳、伊藤若冲、酒井抱一、鈴木基一、そして最終回は明治時代の村越萁栄・向栄親子まで、たくさんのスライドを見せてもらいながら、絵師一人一人の生涯や作品を通して、丁寧に教えてもらいました。

地震の影響で講座が中止されるのかと危惧していましたが、予定通り行われてよかったわ。
こういうきれいな絵を見ていると、心が癒されますものね。

「琳派」という用語は昔からあった言葉ではなく、今から30年ほど前に作られた言葉だそうですけれど、尾形光琳を中心として同じ題材(かきつばたや八橋、秋草、風神雷神など)で作品を描いた人たちのことを言います。

私は江戸末期の鈴木萁一が一番好きなのですが、今日の村越親子の作品も、品があっていいなと思いました。この人たちは明治時代に千住に住んでいて、そのあたりのお金持ちのおうちを飾る絵を描いていたそうです。4月には展覧会があり、この講座で講師をしてくれた先生のレクチャーもあるので、是非、千住まで足を延ばしてみたいと思います。


今日のお話で面白いことを聞きました。
それは尾形光琳の有名な「紅白梅図屏風」の絵ですが、これの解釈として、真ん中に流れている川を女性の裸体(左向きに横たわっている)と見立て、その左に立っている白梅を老人の男性、右側に立っている紅梅を若い男性として、その二人から愛撫されている女性の図である、という見方もあるのだというのです。


美術評論家というのはいろんなことを考えるものですね。
でもそう言われるとなんだかその気になってくるのでおかしなものですね。

今年は酒井抱一生誕250年なので、あちこちで展覧会の予定があるようです。

さて講座も最終回なので、着物は昨日と同じでしたが、ちょっと豪華な帯(値段はちっとも豪華でないのですが)を締めていきました。


この帯、ちょっと長さが足りないので、お太鼓がうまく結べないのです。


こちらは光琳の「冬木小袖」
冬木家の奥様のために光琳が描いた着物だそうです。
さすが光琳は呉服屋の息子だけあって、着物のセンスがいいですね。


こんな素敵な着物が着られたらいいな。

2011年3月25日金曜日

「恩讐の彼方に」

久しぶりに新橋演舞場で歌舞伎を見てきました。

今月の出し物は3本あって、3本ともお芝居で、それもストーリーがややこしくて、メインテーマが復讐とか母子の愛情劇とか、花魁をはさんだ三角関係とかで、イヤホンガイドがあってもなんだか難しいお話ばかりでした。
私としては満開の桜の下、きれいなお姫様が出てきて踊ったりするほうが見ていて気楽でいいのだけれど、今日の歌舞伎は疲れたわ。

それにやはり震災のせいか、お客さんが少なかったわね。いつも観光バスで乗り込んでくる団体さんが多いのだけど、今日はそういう人があまりいなくて、館内も静かでした。


最初のお芝居は「恩讐の彼方に」
これは、菊池寛が書いた小説を自分で脚本したものだそうです。

江戸時代に、浅草に住んでいた男が、その主人を殺してしまい、逃げ回った挙句、修行を積んで坊さんになり、人生を反省して生きていたところ、20年後にその殺された主人の息子が現れて、復讐するというストーリー。
舞台は大分県の耶馬渓にある「青の洞門」

これは実際にあった話を元にしたそうですけれど、つまりトンネル掘りの話。
だからトンネルの中なので、舞台は暗いのです。
その暗い時に、もし地震があったらどうしよう、と思わずぞっとしてしまいました。

2つ目のお話は「伽羅先代萩」というお芝居。
若殿さまと乳母とその息子が中心の話のだけど、子役が二人とも10歳だそうで、すごく可愛いかったわ。

3つ目のお話は「曽我もよう侠御所染」という傾城を中心にした三角関係のお話なんだけれど、その一方が菊五郎でもう一方が吉右衛門でした。
そして菊五郎の息子の菊之助も競演しているのが見ものね。
歌舞伎ならではの様式美溢れる舞台でした。

さて今日の着物は、昨年、初めて自分で買った着物にしてみました。
一周年記念ということです。


写真で見るとかなりごちゃごちゃしていますね。
よく見ると、細かい扇の柄なのでした。


帯は無地のように見えますけれど、桜の花びら。京袋帯というそうで、やったら長くて、二重太鼓にしました。

着物の背中のあたりが、こんもりとしてしまってみっともないわね。

2011年3月24日木曜日

素敵な贈り物

とても素敵な贈り物をいただきました。

それも地震の避難先からです。

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娘の結婚式をハワイでするつもりでしたが、諸事情によりキャンセルしたのは前に書いたとおり。

ハワイではもちろん、お婿さんの福島のご両親とお会いするはずだったのですが、それが地震と原発の影響により栃木に避難していました。

その栃木から素敵なプレゼントを送っていただきました。

というのも、あちらのお母さんは和裁をしている方で、ハワイで私と式に参加する予定だったカナダの妹のために、着物のミニチュアを作ってくださり、それを避難先から宅急便で送ってくれたのです。

とても可愛いの。

こちらがピンクの着物。あでやかですよね~。

源氏物語でいうと「朧月夜」のようなタイプかな。


裾にはちゃんと綿が入っていて、ふんわりしています。


こちらは白地にシックな花柄の着物。


本物の着物の3分の一くらいの大きさかしら。


こちらは「玉蔓」のような雰囲気かしら。

心のこもった素敵な着物をわざわざ避難先から送っていただいて、感激です。

娘のウェディング姿は見られなかったけれど、美しい着物をいただけて、幸せだわ。

2011年3月23日水曜日

着付けのコツ

着物を着るようになって、ちょうど1年。

この間、あらゆる種類の着物の本を読んできました。
仕立師が書いた本、料亭の女将さんが書いた本からタレントの書いた本まで。みなさん、それぞれ着物に対しての思い入れがあり、また着付けのいろんなコツも教わりました。

そんな中で、最近、私が会得(というほどではないけれど)した着付けのコツが二つあります。

一つは胸のところの処理について。

着物を着るときは、バストの凸凹がないほうが美しいというので、いろんな補正方法があるようですが、ようするにバストをぺちゃんこにするという方法。でも私はいわゆる着物用のブラをつけるのはダサくて嫌だし、かといってさらしを巻いたりそこまでしたくないので、何とかいい方法はないかと思っていたのです。

そこに目からうろこの方法がありました。

それはバストの凸凹をなくすためには、胸の谷間(!)を着物で塞いでしまえばいいということ。

その方法というのは、着物の襟の余った分を胸のところで畳んで、それをピンで留めておくという方法。
こうすれば凸凹はなくなるし、ウエストあたりで畳むよりもお腹周りがすっきりとするのです。

もちろんそれでもまだ襟は余るので、それは普通に三角に畳んでコーリングベルトで処理をしておきます。

こうすると、胸の前のところが適当にふっくらとして、ハト胸のようになり、きれいに見えるのです。

胸のVのところの下に、畳んだ襟が入っています。

なんとなく料亭の女将っぽくなりますね。


もう一つは帯の締め方。
これもあれこれ工夫した結果、締めるのではなく、畳み上げるという方法が一番お太鼓がすっきり見えるという結論になりました。

今までは帯の「手」のほう(細い方)をねじって、胴の右側にあずけておいたのですけれど、新しい方法は、「手」は胴の左側にあずけておき、「たれ」(お太鼓になる方)を持ち上げて、背中でいったんひろげて、そこを仮ひもで押えておく方法です。

このやり方に辿りつくまでいろんな方法をトライしてきました。


着物も帯もその材質や長さなどによって、着方や締め方も変わってくるので、どの方法が一番いいかは一概に言えませんけれど、とにかく着付けの方法をいろいろ工夫をするのはすごく楽しいものです。

「私は着つけができないから」という人も、自分のやりやすい方法が見つかるまで、何回も何回もやってみると、着る楽しみが増えると思いますよ。

それと着物姿が美しく見えるには、姿勢が一番だと気付きました。
これは誰でもできる方法ですね。

今日の着物は、骨董市で買ってかけはぎをしたブルーグレイの紬と、さとさんから頂いた朱色の織の帯。
八掛(裏地)の色と帯の色が合わせたようにそっくりなのです。

2011年3月22日火曜日

停電生活

東京電力の計画停電にもだいぶ慣れてきた。

うちの場合、停電になると水が上がらないので、とにかく停電の前にはトイレ用の水だけは確保しておく。

それ以外はそれほど切羽詰まって困ることはないので、当たり前にアナログ生活をしています。

電気がなくてもできること(昼間の場合)

まずは読書。これは周りが静かなのでちょうどよいの。

それから編み物。これも毛糸と編み棒があればいいので、停電にはぴったり。

私の場合は他に三味線のお稽古が加わります。
最近、「忍ぶ駒」といって、三味線を弾いていても音が大きく鳴り響かない道具を買ったので、周りに遠慮せずに弾くことができるの。

今は「越後獅子」というのをお稽古しています。
きっとどこかで聞いたことがある音楽。

このユーチューブをご覧ください。ああ、こういう曲ね、と分かるはずです。


アナログ生活といえば、やはり日本古来の伝統的なことはみんなアナログよね。
いや、アナログという言葉は適当でないかしら、非電生活とでも言ったらいいかしら。

書道、茶道、華道、香道、みんな電気とは無縁。

身体を動かすことにしても柔道や弓道もみんな電気とは無縁。

それと最近は買い物をしないで、私は保存してある材料を使って料理をしているの。
切干大根や缶詰料理、小麦粉でお好み焼きを作ったり・・・。

新聞によれば、原子力発電所だけでなく、火力発電所も地震や津波の被害にあったそう。
これからも電力不足は目に見えていますね。

なんとか節電、あるいは非電生活を工夫しながら続けたいものね。

写真は地震で壊れちゃった、うちのわんこちゃんのある日の姿。

2011年3月21日月曜日

二大趣味

私の趣味といえば、一つは読書。そしてもう一つはエアロビクスで身体を動かすこと。

ところが最近は停電の影響で図書館もスポーツクラブも閉館が続き、なかなか好きなことができずにいました。仕方なく、家にある本を読んだり、部屋でダンベル体操をしていました。


それが今日は午前中に限り、図書館もスポーツクラブも開館しているというので、朝早くからまずは図書館に行って、有吉佐和子やら幸田文の本を借りてきました。

そしてその足でスポーツクラブに行きました。
エアロビとダンベルをしましたけれど、最近あまり身体を動かしていなかったので、飛んだり跳ねたりするのがきつかったわね。

でも筋肉は使わないとどんどん衰えてしまうので、頑張らないと・・・。


被災地の方は食料や暖房も十分でなく、趣味どころでないでしょうけれど、やはり好きなことができないのはつまらないものです。避難されている方にも、ご自分の好きなことができるような環境と条件になれることを願っています。


満開のクロッカス。

球根の袋には「黄色、白、紫のミックス」と書いてあったような気がしたのだけれど、咲いたらみんな黄色だったわ。

2011年3月20日日曜日

ござれ市 再び

地震が発生してから、各地のいろんなイベントが中止になって、なんとなくつまらないムードになっていました。

でも私の好きな「ござれ市」はいつも通り開催していました。


地元の骨董市で買った春色の小紋を着てお出かけ。

帯は京都の女医さんにいただいたものですけれど、緑色の地にポピーのような大きな花柄です。


帯揚げが真っ白に見えるけれど、本当は淡い黄緑色なんですよ。


深緑色の道行は、ぽこぽこ模様が気に入っています。


高幡不動のござれ市は、普段よりお店はちょっと少なかったようでした。


でも顔なじみのおじさんにも会えてほっとしました。

このおじさん、私を見つけるなり、
「おっ、また来たね」と挨拶してくれるの。

「おじさん、地震でもやっているのね」

「そうさ、地震のテレビばかり見ていないで、たまにはぱーっと買い物して行ってよ」

そんな会話ができるのも楽しいわね。

おじさんはまじまじと私を見つめて、
「お客さん、ほんとうに着物が似合う体形だね~」と言うのよ。

着物が似合うのではなくて、着物が似合う体形、というのが悔しいじゃないの。
でもほんとなんだからしょうがないわ。
つまり洋服が似合うすらりとした体系ではなく、ずんぐりのちびデブということね。

そんな冗談を交わしながら見つけたのが、これ。


淡いグレーの羽織。500円です。これから羽織るのにちょうどいいでしょ。

おじさんに「また来ますね」と挨拶して、今度は別のところへ。

骨董市の楽しさは、知らない人通しでもすぐに打ち解けてしまうこと。

「あら、これ安いわね~」
「私も狙っていたのよ」
「そうね、あなたのほうが似合うかもしれないわ」
「ちょっと若づくりじゃないかしら」

そんな会話がすぐに始まるのです。

これまでで一番激安のモノを見つけました。この帯です。


この帯、とりあえず着ていた着物の上に締めたので、とちょっと似合わないのは仕方ないけれど、なんと200円でした。

今日のお買い上げ、700円で、気持ちも晴れ晴れ。
なんと安上がりな私なんでしょうね。

2011年3月19日土曜日

地震から一週間

3月11日の大地震から一週間が過ぎました。

今日は埼玉から娘夫婦がやってきて、みんなで楽しい時間が過ごせました。

夫が使い方が分からなくて困っていたスマートフォンを、音楽が聞こえるようにいろいろ設定してくれたり、助かりますした。

でも彼氏のご両親と弟さんは、原発からの避難生活をしているので本当に大変なことだろうと思います。
家や仕事はどうなるのでしょう。

こちらはまだ元気に咲いているミニシクラメン。


紫のビオラ。


白と黄色のビオラ。


暖かい日差しを浴びて咲いています。

母が残していった毛糸で、ベビー用の編み物を編み始めました。
あと半年あるので、それまでになんとかできあがればいいな。

2011年3月18日金曜日

携帯が壊れた!

ついこの前、機種変更をしたばかりの携帯電話が壊れた。
緊急連絡に携帯電話が必要な非常時だというのに!

この携帯、いくらちゃんと充電をしても、すぐに数時間で減ってしまい、そして切れてしまった。

AUに持っていったところ、いかにも私の使い方が悪いように疑うのよ。
電波の届かないところにいたのだろうとか、へんなサイトを見ていたのだろうとか、長電話、長メール(?)をしたのではないかと聞くわけ。

私の携帯の使い方はほとんどがCメール(AUの無料メール)で、あとはEメールがちょっとだけなのに、「一日、何分くらいメールをするのか」と言うのよ。
そんな何分なんて計るようなものではないのに。

私は「せいぜい数メールですよ」と言ったら、「画面を開いているのは何分か」と聞くの。5分もかかっていないはずだわ。

それであれこれ根掘り葉掘り聞かれて、ようやく代替機を貸してくれたのはいいけれど、着信履歴は残らないし、使いにくいですよね。

「修理をするときに有料になってもいいですか」と言うのだけれど、こんな新品なのに修理料金が発生するなんておかしいわよね。

とにかく、一言でいいから「申し訳ございません。ご不便をおかけします。」とでも言って欲しかったわ。


こちらはうちの庭に咲いたクロッカス。

球根を植えてそのままにしていたのに、ちゃんとけなげに咲きました。

今日は午前中は停電だったけれど、夕方の停電は回避されたそうで、ほっとしました。

それにしても何回も余震が続くのが嫌な感じですね。

2011年3月17日木曜日

「針女」

電車も何とか動いているので、久しぶりにお仕事に出かけました。

途中の乗り換え駅は、電灯が半分くらいしか点いていないので薄暗いのです。おまけにエスカレーターは閉鎖されてるし。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

通勤電車に乗っている間、「針女」(しんみょう)を読みました。
有吉佐和子の書いた古い本(昭和30年代に書かれた本)です。

戦争中から戦後にかけての一人のお針子の話なのですが、東京大空襲のことなどが書かれていて、B29の爆撃によりあたり一面焼け野原になって、そこから這い上がるという話ですが、それを読んでいるといやがおうにも今の地震のことが想像されてきます。

特に食べ物のことを書いてあるところはドキッとさせられます。
戦争中、戦後は食料の配給制度があり、みんな並んで食べ物を手に入れていたという風景。
また着物などを田舎に持っていき、そこでお米や野菜と交換したという話。
それらは祖母や母からは聞かされていた話ですけれど、今のような状況にいるとほんとうに身にしみて分かります。
この本を読んでいて、これからの日本も食べ物は配給制になるかもしれない、なんて思いました。

どんな時代にも強く生き抜く庶民はいますけれど、この本は特に戦争という悲惨な体験を乗り越えていく一人の若い女性が描かれています。

これからどんなストーリーに発展するのか分かりませんが、東京の下町の風景や江戸っ子口調がひしひしと伝わって来て、とても迫力のある面白い本であることには違いありません。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

大学の生協では、パンやお弁当がたくさん売っていて、目が点になりました。
うちの近くのスーパーではこんな風景は見かけません。

とりあえずパンを買って家に持って帰りました。
なんだか買い出しに出かけたようでした。

2011年3月16日水曜日

わんこも一緒に・・・・

福島の親戚は原発から避難して、栃木の親戚の家にたどり着いたという連絡があった。
福島の家では、電気はもちろん、ガスも水道も使えなかったそうで、さぞ大変だったことだろう。

一番気になっていたのは、その家で飼っていたわんこのこと。
いったいどうするのだろうと気をもんでいたが、車で一緒に連れて来たそうだ。

よかったね。

このわんこはSOFTバンクの「お父さん」にそっくりなのだとか。

でも一緒に避難できたペットはいいけれど、金魚とか小鳥を飼っていて、避難を余儀なくされた人はどうしたのだろう?
汚染された土地に置いてきぼりにするより仕方がないのだろうか。

いつまで続くか分からない避難生活。ペットがいなくては寂しい人も多いだろうに。

今日は久しぶりに外出。

カルタ結び。


歩いて日舞のお稽古に出かけた。

先生が、「最後にもう一回踊りましょう」といった途端にバタンと停電!
明かりがすっかりと消えて真っ暗になってしまった。

これまで停電があるあると言われていてもずっと肩すかしだったのに、とうとう実現されたわけだ。

それでも停電開始が午後3時30分だったので、外に出たら明るくてホッとした。

電車で家に戻ったけれど、だんだん暗くなる。
おまけに水も出ない。
冷蔵庫の扉も閉まってしまっている。

駅だけがやけに明るい。あとは真っ暗。


6時30分になり、停電が終了。

この時は嬉しかったわね。

2011年3月15日火曜日

ハワイ行き キャンセル

予定では、私たちは娘夫婦、それにお婿さんの家族とともに、今週末からハワイに行き、娘たちの挙式に参加することになっていた。

ところが大震災・大津波・原発事故という不測の事態になり、実行するかどうか迷っていたところ、決定的な事態になった。


それは、お婿さんの実家がある福島からでは、成田までの道が閉ざされているというのだ。

大周りをすればなんとか成田まで来られるそうだけれど、そこまでしてハワイに行ったところで、気分的にハッピーになれないだろうし、予定通りに帰国できないとあちこちに問題が起きてくる、というので、今回のハワイはキャンセルすることにした。

もともと娘の妊娠が分かった時点で、ハワイはキャンセルするかと思っていたのだが、思い出を作りたいというので、予定通り行くことにしていたのだ。

キャンセルは往復の旅行はもちろん、キラウェア火山のナイト・ツアーや夫が申し込んでいた乗馬や潜水艦のツアー、成田までのスカイライナーやお土産の宅配もすべてキャンセルした。

娘の方は教会で着ることにしていたウェディング・ドレスのレンタルは当然キャンセルしたが、頭に載せるティアラは自分で購入したそうで、それだけあっても、いったいどうするのでしょうね?


しかしそんなことは笑って過ごせる話なのだが、もっと深刻なのは福島の人たちのことだ。

原発の影響で避難勧告が出て自宅にいられなくなり、栃木の親戚の家に避難するそうだが、ガソリンも買うこともできずに、どうされるのだろうか。犬を飼っているのだが、そのわんちゃんはどうなるのだろう?

地震だけではなく津波や原発など、あちこちに影響の出ている状況だが、これは戦争と同じ状況だと思う。

あまりに悲惨なので、可憐な花を携帯で写してみた。

2011年3月14日月曜日

地震から4日目

先週の金曜日に大地震があって、もう4日目。

それでも週末の間は、家にいる人が多くて、なんとなく状況を見ているという感じだった。

それが週の始まりの月曜日、仕事先へ向かう人たちで町は混乱した。

それでも、私の住んでいるところは今のところ、予定されていた輪番制停電は実施されていない。

電気があるというのは非常に安心感が増すものだ。

そういえば、今から30年ほど前、アフリカの某国に住んでいた時の停電はすさまじいものだった。
連続196時間、つまりまるまる1週間停電が続いた。
それも気温が30度以上の暑い国でだ。

それでも家には自家発電装置があったので、電灯くらいは点いていたような記憶がある。
でも冷凍庫や冷蔵庫は完全にだめになってしまって、かけがいのない日本食をいくつも廃棄した。

今のところ、天候はそれほど寒くも暑くもないし、おまけにまだパソコンが使えるので、割と平気に過ごしているが、それでもこの状況が4月末まで続くという話を聞くと、だんだんと気持ちが落ち込んでしそうだ。

津波の被害を受けた人たちに比べたらまだましな状況ではあるけれど、電気があり、ガスが使えて、電車も動く、というのはどれほど恵まれた環境なのだろうと思わずにはいられない。

電子力発電所が駄目になったので、電気に頼らない江戸時代の頃の生活をしなければならないのだろうか。

スーパーやコンビニには何も売っていない。
ドラッグストアには長蛇の列ができていた。

電車が動かないので、私は職場に行くこともできずに、家で片づけをしている。
背の高いもの、不必要なものはこの際、処分した。

そしてゆっくりと三味線を弾いてみることにした。

2011年3月13日日曜日

法事

今日は私のおじとおばの法事が泉岳寺であり、親戚が集まりました。


そう、泉岳寺といえばあの赤穂浪士のお墓のあるところです。

私たちの控室の隣で何やら大勢の人が集まっていると思ったら、実は3月14日は浅野内匠頭が切腹した日だそうで、それを偲ぶ会が催されていました。

法事の後、なだ万でお食事をいただきました。

食事の話題は地震のことばかり。
8時間もタクシーを待って帰宅したとか、会社で寝泊まりをしたとか、津波の恐ろしさのことなど話ましたが、でも
「食事もろくに食べられない避難民の人がいるのに、こんな豪華な食事をいただいて悪いな」という声も。

ほんとうにそうですね。

ということで、お食事は前菜とデザートだけ写真を撮ってきました。


チマチマといろいろきれいに盛り付けられていました。

こちらは黒ゴマのババロア。


仲居さんの説明によると、普段は料理の献立表を配るのですけれど、やはり地震の影響で材料がなかなか手に入らないので、在庫のものでやりくりしているのだとか。

これからは三陸沖の魚などは食べられませんね。

せっかく親戚が久しぶりに会えたのですけれど、やはり地震のせいで、どうも暗い話題が多くなります。

法事も27回忌なので、薄紫の鮫小紋を着て行きました。
黒の無地の帯がないので、いつもの帯ですが、やはり喪服用の着物を用意した方がいいかしら?

みんなから「すごく着慣れているね」と言われました。


80歳くらいのおばあさまも同席していましたが、私よりももっと派手なローズピンクの色無地でした。でも白髪にピンクの着物が似合っていたわ。

そうそう、80歳を過ぎてもすごく若々しくて健康なおじいさまがいらっしゃり、どうやって若さを保つかをとうとうと説明していましたが、なんでも顔は50回洗うとつやつやのお肌になるそうです。体も痛いとことは50回、撫でてあげるといいのだとか。この健康法はお金もかからず、お勧めだそうです。

中高年になった私たちも、みんなその話に耳を傾けていました。