琳派の絵画の勉強会ですが、先日に引き続き、昨日はその前段階である「狩野派」についてお勉強してきました。
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今日の装いは、モノトーンのウールの着物。普段着らしい感じが好き。おまけにすごく暖かいの。税込で1050円でした。
私は普段、洋服のとき、ほとんど黒やグレーの服しか着ないので、着物もやはりこういう色のを着ていると落ち着くのです。
アクセントで黄色の半襟にしてみました。実はこれ、手ぬぐいなんです。
帯はさとさんからいただいたもので、これもウール。
裏がなくて一枚仕立てなので、とても締めやすい帯でした。
京都の女医さんからは、ブルーやグリーンのきれいな色の着物をいただいているのだけれど、そういうきれいな色ってあまり馴染みがないので、なかなか手を通せないんですよね。ほんと、貧乏性だわ。
帯締めは半襟に合わせて黄色にしたのだけれど、ちょっと目立ち過ぎたわね。
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さて、狩野探幽とか狩野永徳という名前は歴史や美術の時間でおなじみですし、二条城などの襖絵など、すごいなーとは思っていたのですが、今日の学芸員のお話を聞いて狩野派というのは想像以上にすごい一派だったのだと思いました。
つまり狩野派というのは、時の権力者にうまく取り込んでいて、政治的な生き方がうまいんですよね。
まず狩野派の始祖である狩野正信。この人のパトロンは室町幕府の八代将軍義政でした。
正信の「竹石白鶴図屏風」。まだ墨絵風ですね。
正信の子どもが狩野元信。彼が中国の絵画(墨絵)と日本古来の色のついた絵をミックスさせたそうです。そこから狩野派はどんどん広がっていきます。
その孫の狩野永徳は織田信長や豊臣秀吉をパトロンとして活躍。
永徳の「洛中洛外図屏風」。拡大図を見ましたけれど、人物や風俗がものすごく詳細に描かれています。
そのまた孫の狩野探幽は徳川家の御用絵師となり、二条城や名古屋城の絵をたくさん描きましたた。
つまり狩野派というのは隔世遺伝の家系だったんですね。
狩野派のグループは1000人ほどの絵師を抱えていた大集団で、彼らに飯を食べさせるためには常に時の権力にうまくとり行って、大きな絵を描いていたということでした。
その絵は「ごふん」という貝殻を使って描いていたので、すぐにぼろぼろになってしまうので、それを修理するついでにまた新しい絵を描く、というような作戦をするような頭脳派だったとのことでした。
それにしても残念なのは、こういった絢爛豪華な襖絵や壁絵のほとんどが、戦国時代の焼き討ちとか、太平洋戦争の爆撃で消えてなくなってしまったということ。もったいないですよね。
今回もたくさんのスライドを見せていただきました。
普段、展覧会などでは見られないような細部までも拡大して見られたので、よかったですよ。
こちらは庶民的な「彦根屏風」です。1センチくらいの箱の中身までも、丁寧に描き込んでありました。
特に当時の着物の柄や、絞り模様の細かいところまで描かれていて、着物好きにはたまらない絵画でしたよ。
それにしても薄暗いところでスライドを見るというのは、どうしてこう眠たくなるんでしょうね。
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この江戸絵画の勉強会が終わって教室の外に出たら、お隣の和室のお茶の会の人たちとばったり出会いました。
どこかの若奥様のグループなんでしょうけれど、それはきれいな着物を着ていて、その上には淡い色の道行を着ていて、うーん、私はこういう上品な着物はだめだわ、と思いましたね。
私のように着物を着ていても横断歩道を走って渡ってしまうような人には、500円のワンコイン着物で十分だわ。
4 件のコメント:
黄色の半襟が、モノトーンの着物によく映えてますよ。顔映りも、いいのでは?帯締めと似た色ですか?
古今東西を問わず、画家や音楽家には、たいてい金持ちのパトロンがいましたよね。
時の権力者にうまく取入った者が、名を上げ贅を成したのね。今は、どうなんだろう。
いかにも高価な着物を着ていますという奥様より、としちゃんの着物姿の方が、ずっと粋だわ。
着物だって、走って渡ってナンボでしょ。違うか(笑)
へぇぇ!
狩野派は授業で習いましたが
どうせならそんなことも教えればいいのに。
これほどなら、政治的影響力もあったんじゃないかしら?
パトロンも自分の為に描かせるだけじゃなくて
他のお遣いも兼ねてよそに描かせに行ったりとか
画家自身が耳打ちしたりとか
そんな想像をしてしまいます。
梅原さんは証拠が出ない限り書かないかも知れませんが
井沢元彦辺りならお話を作りそうですね。
ごふんが落ちやすい理由に感心しましたw
古くからある素材は使ってみたくなるのですが
修繕が面倒なのでやめますwww
渋めの着物に明るい半襟って、本当に粋ですよ。
池袋西武でよく販売をしていた撫松庵のおばさまが
よくそんな合わせ方をしていました。
そして関係ありませんが、もっこりにまーさんも大爆笑でしたよwww
マサさん、黄色の半襟誉めていただきうれしいです。あれは両国にある江戸東京博物館のお土産屋さんで買った手ぬぐいなんですよ。柄と色が気に入って買い、手ぬぐいには惜しいので半襟にしてしまいました。帯も似たような辛子色です。
マサさんがご覧になったドガ、晩年は目が見えなくなったというお話、すごくショックでしたね。音楽家には耳、画家には目が大事でしょうに、気力で描いたのでしょうか。すごい人だと思いました。
史子さん、ごふんのことよくご存知ですね。講師のお話では、ぽろぽろ落ちやすいごふんを意識的に使用して、そこを修理するついでに、別の新しい絵もついでにいかがですか、なんて感じで売り込んでいたらしいですね。
壊れやすい電気製品を買わせて、すぐに駄目になって、別の新製品を買わせる手口と同じかな?
撫松庵は浴衣とかすてきですよね。
もっこりの話、あー、恥ずかし!!
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