(仙台旅行記がまだ終わっていませんね。少しずつ書き加えていく予定です。)
仙台に行ったのは2回目でした。
前回は2009年の秋に仕事でお邪魔して、仕事が終わった後で松島にも出かけていました。その時のブログはこちら▼。
今回は村田町に出かけた翌日は、仙台市内をバスで巡りました。
「るーぷる仙台」といって、1日600円で何回でも乗り降り自由です。
こちらは仙台駅から一つ目の停留所。
こちらは博物館近くの停留所にやって来たレトロなバス。
仙台市内は、どこも観光客が多かったのですが、誰も訪れる人がいないところがありました。
それは「晩翠草堂」▼。
作詞家土井晩翠のおうちです。
この方は明治4年に仙台で生まれ、そして昭和27年にお亡くなりになったそうで、今からもう60年以上も前のことになりますね。
それで現代の人はあまり訪れないのかもしれません。
仙台駅から少し歩いたところにありました。
ここは、晩翠が晩年に住んでいた平屋のおうちです。
その当時のままの居室。
左奥にベッドがありますが、ここで寝起きしていたそうです。
木の窓から見えるお庭。
ガラス窓の木枠が懐かしいですね。
晩翠といえば「荒城の月」の作詞者として有名ですが、実は彼の本業は英文学者だったのでした。
東大では小泉八雲に学んだそうです。
またイギリスにも留学していて、夏目漱石とも交流があったそうです。
ホメロスやカーライル、バイロンなどの翻訳も数多くされていらっしゃいました。
そして詩人として初の文化勲章まで受賞していた人だったのですが、あまり知られていないかもしれませんね。
こちらは「荒城の月」の歌詞です。
3月の三味線おさらい会の時、「荒城の月」を弾いて歌った▼のですが、こちらで説明していただいた方に、この詩に出てくる荒城のことをお聞きしました。
それによると仙台生まれの晩翠にちなんだ青葉城でもなく、作曲家瀧廉太郎の故郷の竹田城でもなく、戊辰戦争の会津城を指しているということでした。
この名曲は二人とも20代の若いときに作られたそうです。
明治の人ってみなさん、若いときから優れた才能を発揮していたのですね。
また晩翠の歌詞による「春の夜」という曲は宮城道雄が箏曲として作曲したそうで、晩翠については知らないことが多く、大変、勉強になりました。
仙台に行って、時間があれば、このおうちを訪れてみることをお勧めします。
2 件のコメント:
「荒城の月」の作詞者が、英文学者とは意外ですね。
そういえば夏目漱石も、英文学者でしたよね。
昔の人は短命なぶん、若いときに立派な仕事をして後世に残してるんですね。
部屋の中は、長い年月を経てもきれいになっているんですね。
手入れが行き届いているからでしょう。
仙台には行ったことがないけど、これから行く機会があるかしら。
マサさん、そうでしょ、晩翠については意外な発見でした。文化勲章をもらったなんて全然知らなかったわ。
次女さんのお相手が仙台出身の人かもしれないわよ。
仙台はちょうどよい規模の都会で、住みやすそうだと思いましたよ。
コメントを投稿