まだまだ広島着物旅が続いています。
今回は広島城のご紹介。
広島城は別名「鯉城」(りじょう)とも呼ばれているそうです。
昔はこのあたりが「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれていて、それが変化して鯉となったそうです。
それが広島カープが生まれた由来なのかもしれませんね。
このお城は、毛利元就の孫に当たる毛利輝元という人が、1589年に建てたものだそうです。
というのも、輝元は豊臣秀吉が作った聚楽第や大阪城を見て、城の必要性を痛感したそうです。そして太田川河口の三角州に城を建てることを決めたということです。
このように平地に建てられたお城は「平城」と呼ばれています。
その後、関ヶ原の合戦後に、福島正則がここに入りました。
そして、今度は浅野長晟(ながあきら)が広島城に入り、それから明治2年までの250年間、浅野家が12代にわたって広島城主を務めたそうです。
二の丸。
しかし、広島城は原爆で昭和20年に倒壊してしまいました。
そのあとが残っていましたが、悲惨なものでした。
現在のお城は、戦後の昭和33年に復元されたそうです。
天守閣から眺めた風景です。
お城の中は歴史資料館のようになっていました。
すっきりとしたお部屋ですね。
ここで主人は書物などを読んでいたのでしょう。
でも実際は、薄暗くて文字があまり読めずに、早く寝てしまったのかも。
こちらは、家族が集まるところのようです。
こちらはお城の隣にあった神社。
「子供の日」が近かったので、たくさんの鯉のぼりがありました。
広島市というところは、明治や大正時代の古い面影の残る地域はまったく見当たらないところでした。
つまりすべて原爆で失われてしまったわけですね。
建っているのは、戦後の建物ばかりで、古い町並みを歩くのが好きな私としては、あまり情緒が感じられなくて残念でした。しかし、それも原爆のせいだと気づき、やるせない気持ちになりました。
お城の後には、繁華街にも行きたいと思っていたのですが、実は大変なことに気づきました。
それは、コインロッカーに預けておいた旅行かばんのカギが、見つからなかったのです。
宿泊したホテルに電話もかけましたが、部屋にもないということ。
どこかに落としたのかもしれません。
そんなことが気になって、あちこち出かける気分も失せてしまいました。
それで早めに飛行場に行って、ぼーっとしていました。
情けないですね。
せめて広島気分を味わおうと思って、空港の売店で、もみじまんじゅうを一つだけ買って、赤い毛氈が敷かれた縁台でいただきました。
いろいろな味のあんがありましたが、私は迷わずに粒あんを選びました。
飛行場では時間はたっぷりとあったのですが、がっくりとしていたので、お土産は広島のお酒「賀茂鶴」を買っただけでした。
なんだか残念な旅の締めくくりとなりました。
(ようやく次は最終回となります。)
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