都内にある富士山に登ってきました。
その名は「中里富士」。
富士山といっても、高さは11メートル。土を盛り上げたような小山でした。
でも面白いことに、本物の富士山にあるものは全部そろっている、というミニチュア富士山です。
場所は清瀬市という西武線沿線の住宅街の中です。
分かりやすくいうと、東京の西のほうで、埼玉県との境に当たるところにミニ富士山がありました。
「中里富士」は清瀬市公式ホームページでも掲載されていますよ。
こちら▼。
この中里富士は住宅街の中にここだけ異世界のようなのですが、こんもりとした森のようになっていて、周囲には神社もあったし、鳥居もあったし、本物そっくりに作られていました。
この富士山は、江戸時代(文政8年、1825年)に、この辺りに住んでいる富士講の人たちが自分たちで築きあげたものなのだそうです。
その後、明治時代、昭和時代にも改修されたそうです。
いろいろな石碑などを説明している講師と、富士登山の仲間たちです。
馬頭観音、狛犬、お地蔵様、千手観音、記念碑などが建っていました。
三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)もありました。
富士山とお猿さんの縁は深いのだそうです。
説明を聞いてから、みんなで登山しました。
面白かったのは、富士山大噴火によってできた宝永山まであったこと。
山の斜面に立っていました。
ちゃんと何合目という目印もあるのです。
こちらは五合目。
さて山頂に着きました。
ちょっとお山の大将になった気分でした。
ここにも信仰の対象となるようなもの、たとえば祠とか小さな鳥居もありました。
ここでは年に1度、9月1日には「「火の花祭り」というお祭りをしているそうです。
それも富士吉田の火祭りを真似してはじめたのだとか。
無病息災、豊年満作を祈願するためのもので、麦わらで富士山の形を作り、夜になってからそこに火をつけるのだそうです。このお祭りはこの地域ではかなり有名なんだそうです。
けっこう大勢の方が参加していますね。
火祭り▼
(写真は清瀬市のHPより拝借しました。)
こちらの写真は、火祭りの時に使う麦わらから実が落ちて、地面に新しい麦が出てきたところです。
富士信仰が良く分からないのは、中里富士は神道でもあり、なおかつ仏教の僧侶である妙覚道了という人が祀られて、庶民のための講を結成するための信仰もあったということです。
神仏習合ということなのでしょうね。
みんなでわいわい言いながら、小山に上ってはしゃぎましたが、この辺りは静かな住宅地なので、良い年をした大人が子供のようにして山で遊んでいる姿は、どんなふうに映ったでしょうね。
このミニ登山は、市民カレッジの一環として行ったものです。
前回、府中市の富士山には着物で登りましたが、その時に草履をひどくしてしまったことに懲りて、今回はジーパン姿でした。
(この後に別のところに移動しました。)
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