昨年の市民カレッジ「日本絵画名品くらべ」▼で教えていただいた先生・出光美術館学芸部長さんが、大の長谷川等伯ファンでした。
その講義に感化されて、私も京都の智借院に壁画を見に行ったり▼、東京国立博物館で「松竹図屏風」を見たり▼しました。
その後、等伯からは少し離れていたのですが、最近、図書館で安部龍太郎の「等伯」を見つけたので、分厚い本の上・下2巻を借りてきました。
最初はストーリーだけ追って、さっと読みました。
そしてもう一回、じっくりと読んでみました。
物語は、安土桃山時代に能登で生まれた絵仏師の等伯(若いころは信春)が、中年になって家族もろとも都に出てきて、そしてたぐいまれなる才能を開花して、押しも押されぬ絵師となる、というものです。
最後は江戸に向かうところで終わるのですが、実際の等伯は、江戸に到着した2日後に亡くなってしまっています。
物語の中で、両親(子供のころに養子に出されたので義理の関係になる)を殺されてしまったり、愛する奥さんが病で亡くなってしまったり、息子・久蔵を若くして事故で亡くしてしまったり、実の兄も殺されてしまったりした等伯の苦悩と絶望感が、これでもかというくらいに描かれています。
そして絵画史では良く分からなかった権力者や、周りの人物との関係も、きっちりと描かれていました。
信長に追われ、秀吉からは重宝がられ、利休とも友人であり、多くの仏教者とのつながりがあったことが良く分かりました。
また仏教との関わりもかなり詳しく書かれていました。
市民カレッジでは、当時のエリートおかかえ絵師・狩野永徳とはタイプが違うのでライバルではなかったと習いましたが、この本では両者の対立を顕わにしていました。永徳は絵の実力があるが、かなりの悪者(権力好き)で、等伯をいじめ抜いた人のように設定してありました。
等伯という人は、本当に愚直なまでに生真面目で、そして粘り強い人だったのだろうと思いました。
それは能登という地域に生まれ育ったからなのでしょうか。
私はこの本を、日本地図を手元に置きながら読みました。
等伯が北陸から都に出てくるまでの道のりが気になったからです。
地図を見ながら、まだ学生の時に旅行した七尾の海や、等伯たちが船で琵琶湖を渡るシーンなどを懐かしく思いました。
安部龍太郎の本は初めて読みましたが、うまい書き手ですね。
読者をハラハラさせたり、「こうなってほしい」というように話を展開させています。
直木賞受賞作品ですが、十分に賞に値する内容だと思いました。
いつか、等伯が生活をしていた京都の本法寺や、大徳寺の三門を、実際に訪れてみたいと思っています。
2 件のコメント:
日経の朝刊に連載していたものですね。
朝刊は主人が朝会社に持って出かけ、そのまま捨ててきてしまうので読めないのです。
息子の弁当を作っていた頃は早起きして読んでましたが、今はギリギリまで寝ているので(笑)
土日だけ読んでます。
そうですね、日経に連載されていたそうですね。
割と男性が好きそうなストーリーになっていましたね。現代にも通用するような話です。
エリートの御曹司・永徳と雑草のように生きる等伯。そんな図式になっていました。
日経はチラシがないそうですけれど、それはちょっとつまらないわね。
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