神社というのは「たくさんあればあるほどご利益が多い」と言われていますが、それにしてもこの神社にはいろんなものがあって、笑ってしまうほどでした。
まずはご本尊の神社。
ちなみに、この神社の由来は、徳川三代将軍家光のいとこにあたる松平直政という出雲松江藩主が、この土地を将軍家より賜り、鷹狩場としたそうです。
そして徳川幕府の繁栄と天下泰平を祈願して、この地に出雲大社と稲荷神社の両方を建てた、というのが始まりだそうです。
その後、松平家の屋敷奉行の境本という人が、この場所を幕府より貰い受けて、新田開発に当たりました。そのため、彼の名前をとってこの辺りが「武蔵境」と呼ばれるそうになったのだという説があるそうです。
どこかとどこかの「境」にあるから武蔵境というのだと思っていましたが、人の名前に由来したわけだったのですね。
戦後は商売繁盛の神様「恵比寿様」も入れて、出雲の「大黒様」との二本立てということで、人々から信仰されている神社ということです。
ここには、あまりに多種多様なものがあるので、神社ではこんな境内見取り図を作成して配布しているほどです。
「見どころ案内マップ」と書いてありました。
京都八坂神社。
祇園にある八坂神社の支店のようなもの。
稲荷神社。
伏見の稲荷神社の支店のようなもの。
ここの狐は親子のきつねでした。
弁天社。
厳島神社の支店のようなもの。
水の神様だそうです。
(写真はなし)
そして富士山の頂上には富士浅間神社もありました。
こんなにいっぱい神様がいらっしゃって、けんかしないのだろうかと思うほどでした。
神様以外にもいろいろな石碑などもありました。
中央線の前身である甲武鉄道に境駅開業60周年記念の年碑。
日露戦争戦没者追悼の石碑。
写真には写しませんでしたが、他にもあったのはこういうもの。
小学校開校記念の石碑。
子宝に恵まれるという杵。
武蔵野八景の碑。
ほんとうに、「なんでもあり」で驚いてしまいました。
こんなにあっても、敷地が広いので、まだまだなんでも建てられそうでした。
この神社は松江藩主の屋敷の東側に位置するのですが、西側にはお寺さん(観音院)がありますので、こんどはそちらの紹介をしたいと思います。
この日は、富士山に登るというので、七分袖のシャツにパンツルックで出かけたのですが、それほど急な山ではありませんでした。
おまけに境内には蚊が多かったので、着物のほうが全身を包むので、蚊対策としては着物のほうがよかったかもしれない、と思ったのでした。
(この項、続きます)
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