今年の4月から学んでいる「富士山信仰」の講座ですが、夏休みを挟んで、久しぶりにまたお話を聞いてきました。
相変わらず華奢なお姿の講師の先生ですが、張りのあるお声で2時間の講義でした。
忘れないうちに、簡単に内容をまとめてみます。
(なお、このサイトは「おもむくままに」の書き手が、本人の備忘録として感想的に書いているものです。講師の先生の講義そのものとはズレがあるかもしれませんが、その点、ご了承ください。)
富士講というのは、長谷川角行(かくぎょう)という人が始めた富士山信仰の集団です。
その後、身禄(みろく)という人が富士山8合目で断食を行い、そのままの姿で亡くなったこともあり、庶民の間で爆発的に広がった民間信仰です。
講には「先達」という行を積んだ行者さんがいて、リーダー的な存在になっています。
彼らは病気を治したり、占いをしています。
こちらは斉藤義次さんという横須賀市の先達さんです。
(左から3人目)
富士山の山開きの時に、富士登山の安全について話している様子です。
先達と呼ばれるには、富士山の山頂登拝が7回以上であること、富士山の横断巡回(2000メートルあたり)を3回以上したことが条件だそうです。
なかなか簡単になれるものではありませんね。
富士講では何をしているかというと、毎月「オガミ」と呼ばれる礼拝をおこない、富士山登拝をしています。
「オガミ」の時は、神様の言葉がかかれた掛け軸のようなものを飾り、お経のような「オツタエ」を唱えるそうです。
ちょっと摩訶不思議な世界のようですが、現代でも、東京を中心に富士講は存在しています。
富士講以外にも、大山講、榛名講、木曽御嶽講などがあるそうです。
また富士山登拝ですが、江戸時代には江戸から往復8日間かけての日程だったそうです。
白装束に身を包み、笠をかぶり、杖をついて登りますが、これは四国のお遍路さんと似たようなスタイルですね。
頂上では噴火口の周りを廻るそうです。
また登拝前には、穢れを取り、身を浄めるために、水行をおこなっていました。
驚くことに、日本全国の湖(琵琶湖、諏訪湖、中禅寺湖など8つ)で水行をするとか、近くの湖(富士五湖など8つ)に入るとか、忍野八海に入るとか、いろいろなスタイルがあったそうです。
この登山のガイドをするのは、「御師」(おし)と呼ばれる下級の神主さんで、団体登拝のあっせんをしたり、宿泊も提供していました。
春・夏のシーズンにはもちろん登山案内をしますが、秋・冬のオフシーズンには布教をしたり、勧誘をしていたそうです。
彼らはそれで初穂(収入)を得ていました。ちなみに御師というのは、「御祈祷師」の略だそうです。
富士塚は今でもあちこちに残っていますが、富士山から持ち帰った溶岩で作ったり、もともとあった古墳を利用して作ったそうです。
山開きと、山閉めのときにはここでお祭りをしていました。
富士山と一番関係が深く、また有名なのは、富士吉田の火祭りだそうで、これは山閉めのときに本宮富士浅間神社で行われる行事です。
「日本三奇祭」になっているお祭りだそうです。
この祭りは、富士山の噴火を鎮めるための安全祈願が始まりでした。
室町時代から行われていたそうで、富士山信仰が民衆に密着していたことがよく分かります。
(写真はウィキペディア、無料写真サイトより借用させていただきました)
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座学は今回で終わりです。
ざっとまとめてみましたが、万葉ぜの時代から、憧れの対象、恐れの対象となっていた富士山が、江戸時代以降は実際に登山する人が増えてきて、いろいろな行事も行われるようになりました。
それが現在まで続いていて、そして世界遺産登録の時にも、「自然遺産」としてではなく、信仰の対象である「文化遺産」として登録されたのは、やはりこういった歴史を持っているからなのですね。
次回はまた実地踏査で武蔵野市にある富士塚に行ってきます。
楽しみです。
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この日の装い。
9月になりましたが、30度近い気温があったので、絽の着物にしました。
帯や帯揚げは秋らしい色のものにしましたが、帯の芯が分厚かったので、かなり暑かったですね。
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