私はこの画家のことはまるで知りませんでしたが、たまたまラジオで山田五郎さんという評論家(?)が、「髙島野十郎の絵はすごい」と紹介していたので、興味を持って出かけてみました。
髙島野十郎という人は、本名は弥寿といって、久留米の大きな酒造家の息子だったそうです。
明治23年に生まれ、昭和50年に亡くなったということは、私の祖母とほぼ同世代の方ですね。
彼は東大農学部の水産学科を首席で卒業したほど優秀な人だったそうですが、研究の道には進まずに、独学で絵画の道を進んだのでした。
そして生涯、会派に属せず、結婚もしないで一生を終えた人だそうです。
「孤高の人」という言葉がぴったりだと思いました。
彼の描いた絵はほとんどが風景画でした。
それも山や平原、それとくにゃくにゃした樹木という組み合わせが多かったと思います。
人物を描いたのは、自画像と、先輩の学者だけ。
女性も子供も描いていませんでした。
彼は日本やヨーロッパ各地を旅して、その風景画には樹木や草木が多く描かれていましたが、そのどれもがくにゃくにゃとした幹や茎であったのが、印象的でした。
とても端正で厳しい表情の絵画だと思いました。
そんな中、小菊や牡丹などを描いた花の絵は小品でしたがとても美しく、まるで日本画のように感じられました。
この小菊は刺繍をしたように丁寧に描かれていて、こういう模様の帯があればいいなぁと思って見ていました。
また彼の特徴は、蝋燭の絵をたくさん描いたことでした。
執拗なほど、同じ構図の蝋燭の絵を描いていました。
小さな蝋燭がともす明かりが、世界を照らしているようでした。
そして月や太陽の明かりだけを描いた作品もたくさんありました。
画家というのは、何枚も何枚も同じような構図で同じような絵を描くものなのだ、とつくづく感じました。
こういう絵画を「写実画」と呼ぶのかもしれませんが、精巧な写真よりも、真に迫って来る力を感じました。
この作家の内面は分かりませんが、どのような人だったのでしょうね。
晩年には真言宗に帰依したいう説明がありましたが、絵画に仏教の影響があったのかもしれません。
ところで、目黒区立美術館はJR目黒駅から10分ほど歩いたところにあります。
目黒川の沿岸は桜の木がアーチになっていて、満開のときはさぞ美しい風景でしょう。
ここは区民センターやテニス場もあり、区民の人たちの憩いの場になっているようでした。
目黒川のほとりを歩いて行くと美術館に到着します。
実は私は35年程前は、このすぐ近くに住んでいました。
当時住んでいたマンションもありましたが、外壁がきれいになっていて、新しい建物のように見えました。
ここは1階がレンタカー屋さんなので、便利なところでした。
あの目黒エンペラーもいまだ健在でしたね。
この辺りは坂が多いところですが、権之助坂の勾配はかなり急になっているように感じましたが、それは私が年をとった証拠でしょう。
「下目黒」の石碑も立っていました。
この界隈は小さな飲食店がひしめき合っていました。
でもちょっと一人で入る気分にはなれず、結局、神戸屋さんでパンを買って、店内のカウンターで軽く食事を済ませたのでした。
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この日の装い。
3月に表参道で写真撮影会があったとき、待ち時間に近くの「オリエンタル・バザール」で買った紬です。
縦じまがぼかしになっているところが気に入りましたが、ちょっと身幅が広いので、お直しをしようと考えています。
型染の帯をしていますが、紬に染め帯というと、いかにも中年おばさんの見本のようなので、紺色にピンクの水玉模様のポップな帯揚げで遊んでみました。
2 件のコメント:
私も髙島野十郎さんのことは知りませんでした。
蝋燭の絵は、じっと見ていると引き込まれそう。とても印象的です。
画家としては、なかなかユニークな経歴ですね。
画壇の中心にいて政治家にもなった黒田清輝に比べると、やはり孤高の画家という感じです。
目黒区に住んでいたことがあるんですか。
調布に比べると、都会でしょ?
長女は中目黒に何年か住んでいましたが、犬と散歩しているキムタクを見かけたことがあるそうです。
マサさん、画家にもいろいろなタイプがいるものですね。
この人の絵はかなり厳しい感じでしたが、リンゴの絵もよく書いていらっしゃり、
そういう絵を見るとほっとしました。
目黒はここよりはずっと都会ですが、駅は品川区になるのですよ。
中目黒の方がおしゃれでしょうね。
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