2022年6月20日月曜日

品川歴史館へ

品川区立歴史館が、リニューアルのために2年ほど閉鎖されるというニュースを聞きました。

品川に特別思い入れがあるわけではないのですが、閉鎖前には「品川用水の企画展」があるというので、それは是非、拝見したいと思ってでかけて来ました。

品川といっても、最寄り駅は大森です。


賑やかな駅前商店街を通り、しばらく池上通りを北上しました。

途中には大森貝塚の記念碑がありました。これはレプリカで本物は2倍くらい大きいそうです。

お隣は大森貝遺跡塚公園です。


近くには、かつては水路だったような細長い道がありました。なんだかワクワクしてきますね。

ここは大田区と品川区の堺のようです。

途中にあった鹿嶋神社ですが、いろいろとご利益があるようでした。


交通安全、家内安全、合格祈願、と何でも願い事を聞いてくれるようです。

品川歴史館に到着。

正面の入り口には、大きな浮世絵がかかっていました。芸者さんたちが花見を楽しんでいるようです。

歴史館の観覧料は100円でしたが、私はシニアということで無料で入館できました。

ここは昭和60年に開館されました。まだそれほど古くはないのに、リニューアルするのはもったいない気がしました。

まずはお目当ての品川用水の展示室へ。撮影禁止なので写真はありません。

床一面に品川区の大きな地図が貼ってあり、用水の通っていたそれぞれの地点の写真が、壁面に展示されていました。そしてその場所は現在の住所表示もされていて、とても分かりやすい展示でした。地図と説明の両方を見ながら、確認できました。

これだけの作業をコツコツとされたことに敬意を払いました。

品川用水は元々は江戸初期の寛文7年(1667)に幕府から開削許可が出て、2年後に完成しました。現在、武蔵境にある浄水場のところで玉川用水から分離していました。そして品川用水は三鷹市や世田谷区、目黒区を通り、品川一帯に広がったのです。

当初は品川区にあたる地域の大半は、田畑が広がっていました。そして江戸時代から大正時代頃までは、品川用水は農業用水として利用されていました。米、小豆、大根、ナス、人参などが栽培されていたようです。

その後は都市化が進み、品川用水も工業用水に利用されましたが、だんだんと汚れてきたり、洪水の危険があるというので、昭和30年代にはあまり使われなくなりました。

そして昭和35年頃、品川用水は暗渠工事が進み、38年には完全に埋められてしまったのです。

当時の工事の様子がビデオに残されていました。もちろん白黒です。

ちょうど私が小学校高学年のころですね。

ビデオに写っている男の子や女の子、セーラー服の少女たちは、私と同年齢ということになります。とても懐かしく見てきました。

実は私の母は、中央区の育ちでしたが、ちょうど関東大震災直後だったので、実際に生まれたのは品川区の荏原あたりだったようです。たぶん、その時だけ、疎開していたのではないかと想像しています。ということで産湯は品川用水だったかもしれません。

また品川用水だけでなく、三田用水も描かれた資料が展示されていましたが、昔の人の苦労がしのばれました。

お土産に品川用水の資料をいただいてきました。この資料にある地図を見ていると、自分の足で歩いて見たい気分になりました。

またここには常設展として品川区の歴史も展示されていました。原始・古代から中世、近代、現代までの品川の歴史が分かりやすく展示されていました。

品川というとやはり江戸時代の東海道第一番目の宿場町のイメージが強いのですが、当時は街道沿いにはものすごくたくさんの宿場があったそうです。

2階にはモース博士と大森貝塚の資料がたくさんありました。大森貝塚は日本考古学発祥の地だそうです。

その後は資料館の庭に出てみました。

水琴窟もあるお庭でした。

昭和2、3年頃、安田財閥の安田善助氏が建てた松滴庵(しょうてきあん)という茶室がありました。ここには高橋是清なども招かれていたところだとか。

品川歴史館は、平日のためかほとんど訪れる人がいなくて、なんだかもったいない感じがしました。

その後は別のルートで大森駅まで戻ることにしました。

(続きはまたね)

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「一日一句」

水月に 水の歴史を 学びけり


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