2022年6月13日月曜日

日本橋川を歩く 4 三崎橋〜一ツ橋 その1

前回は日本橋川のうち、一ツ橋から日本橋まで歩きました。今回はその手前にある日本橋川の始まりから、一ツ橋までのご紹介です。

距離にしたら1キロか1.5キロほどの短い距離です。

ところが中身はとても濃くて、満足した橋巡りでした。

ちょっと長くなるので、2回に分けてご紹介します。

まずは、JR総武線の水道橋駅からスタートしました。

駅から少し西へ歩き、最初の橋は、神田川からの分離地点にある「三崎橋」です。


下の写真で、右手に見えるのは神田川です。
向こう側にかかっている橋は「小石川橋」です。この橋は平成24年に改修されたものです。


左上を見上げると、総武線が走っていました。
ここを左折すると、日本橋川が始まります。

ここは今年の1月に、神田川を歩いた時にちょっと寄り道したところです。ですから2回めの訪問になりました。

「新三崎橋」からは日本橋川だけの橋となりました。私の姿が写り込んでいますね。

前回来たときにはあまり気づきませんでしたが、川沿いは桜の並木が美しいところでした。


「アイガーデン」という標識がたくさんありましたが、何でしょう?
どうもレストランやショッピングができる場所のようでした。


川の右岸には立派なビルがたくさん並んでいました。

ここに入っている会社も、大和ハウス、大塚商会など私でも知っている有名な企業ばかりでした。

このあたりはJR飯田橋の貨物駅の跡地を再開発したところだそうです。

日本橋川の上には、ずっと高速道路が続いていました。

最初は「あいあい橋」。なんだか可愛い名前ですね。以前は新飯田橋というのがかかっていたそうです。「いいだはし」から「i」という名称になったのかもしれませんね。


このあたりには、讃岐高松藩の上屋敷があったそうです。そして当時のいろいろなものが発掘されていました。


お次は「新川橋」。この名前の橋はあちこちで見かけます。
レトロなランプ?がいい雰囲気でした。


川幅は割と広いところでした。


向こうに見えるのは「堀留橋」。


橋の名前だけが別の石に書かれていました。
かなり貫禄がある橋でした。


「傳藏地蔵尊」というお地蔵さんがありました。


名前の由来は、関東大震災で堀留橋が壊れてしまい、その修理をした人の名前が傳藏さんだったということです。
お花も添えてありました。

「南堀留橋」。


高速道路の下側が橋に迫ってきていました。
ちょっと薄暗い場所で、夜など一人で渡るのは怖そうです。


お次は「俎(まないた)橋」。


どうしてまないたというのでしょうね。橋の形がまないたに似ているという説と、近くに台所町というのがあるので、まないたになったという説があります。

橋の向こう側にメトロ九段下駅がありました。ちょっと見づらいのですが、写真の左上です。


靖国通りの西側には、靖国神社の大きな鳥居がどーんと建っていました。ただし写真を撮るためには横断歩道の真ん中に立たないとうまく映らないので、それは諦めました。鳥居の一部がかすかに見えました。


今日のブログはここまで。

この後、宝田橋、雉子橋を経て、一ツ橋へと続きます。

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「一日一句」

梅雨晴間 橋を見守る お地蔵さん

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