京都旅行の話が延々と続きますが、今日のブログは白川の橋巡りです。
私の川歩きも、近隣の川だけではなく、ついに京都まで拡張してしまいました。
本当は身近にある川をきちんと歩いてからにしたいと思うのですが、「北野をどり」に行くのをチャンスとして、京都の川まで歩いてしまいました。
白川は滋賀県大津市の比叡山あたりにある白川山というところを源流として、そこから西に向かい、琵琶湖疏水を経由して、祇園を通り鴨川に合流する河川です。淀川水系の一級河川だそうです。
川が白い砂で敷きつめられているので、白川と言われるそうです。
ただし私が歩いたのはその中のほんの一部です。
下の地図の紫色の矢印ですが、最初の日(4月3日のブログ参照)は地下鉄東西線の東山駅から出発して、主に平安神宮の西側(地図の左側)に流れる白川と琵琶湖疏水を巡りました。
2日目のルートは、上の地図の右側の矢印の部分になります。
白川の風景というと、祇園あたりの観光名所が思い浮かびますが、私が2日目に歩いた地域は、長い歴史と近代性が混在した住宅街というか、ちょっと形容が難しい地域でした。
たぶんガイドブックにはあまり登場しないところだと思います。観光客には出会いませんでした。そんなところを着物を着てフラフラと橋を写していた私は、かなり奇妙だったでしょう。
さて、そのレポートですが、日本名庭園の無鄰菴を訪問した後、南禅寺方面に行く道には行かず、琵琶湖疏水の裏側の方へ進みました。
最初に見つけた橋は「下河原橋」でした。
白川通りは、昔ながらの大きなお屋敷がある割には、バスが結構通るので、白川を写真を写しながらさっさ歩くのは難しいのです。身の安全のためには、時間をゆっくり取るようにしていました。
たまに由緒ありそうなお屋敷がありましたが、個人のお宅なのでしょうか、それとも宿なのか外見からはわからない建物がありました。
隠れ家のような料亭もあったと思いますが、庶民にはあまり気楽に入れないような雰囲気でした。
後で地図で確認すると、泉屋博古館があったり、一見さんお断りの料亭があったような地域でした。
こちらは橋のそばには近寄ることができずに、確認できませんでしたが、向こうに見えるのはたぶん「岡崎橋」です。
(上のコラージュ写真には、若王子橋を入れ忘れました)
すると、なんとベネッセ系列の老人ホームが橋のお隣にありました。
昔の格調ある高級住宅が老人ホームになってしまうのは、世田谷区でも見ましたが、その看板まで同じだったのにはちょっと驚きました。
次は古くて橋の名前が見づらかったのですが、「高岸橋」
このあたりには、お店はもちろん、コンビニも見当たりません。静かな住宅街でした。
もう少し先まで歩こうかと思ったのですが、「鹿ヶ谷」という案内板があり、俊寛の島流しを思い出してしまいました。
鹿ヶ谷事件は1000年以上も前、この近くで起こったのか、と思うと、妙な気分でした。平家打倒のために後白河上皇らが起こした陰謀でしたね。
今までお気楽に歩いていたのですが、昔、ここで陰謀密談が行われたのですね。なんだかゾッとしてきて、その先の白川歩きは今回は中断しておこうと思ってしまったのです。
その後、東天王町というところで左折して丸太町通りに出ました。
ここは人通りもあり、急にあの世から現世に戻った感じでした。
少し歩いて、岡崎神社に寄ってみましたが、ここは観光客が多くて、写真を写すと必ず誰かが入ってしまうというところでした。
前の方たち、すいませんでした。
岡崎神社には今年の干支のうさぎがお出迎えしていました。それでこの神社は人気なのかしら。
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