私もこの映画を見ようかとも思ったのですが、松たか子が嫌いなので(夫が大ファンなのでそれに反発して)、どうしようかなと思っていたのです。
そうしたら、先日、ブックオフで、中島京子さんの原作が200円で売られていたので、さっそく買ってきて読みました。
映画評を読む限りでは、奥様の松たか子の不倫ばかりが強調されていたような感じがしましたが、小説は全然違いましたね。
私が思った一つの主題は、作者は、戦前の都会の中流家庭の実態を、田舎から出てきた若い女中さんの目から見て描きたかったのだろう、ということです。
この小説の時代は昭和初期から戦争に突入するまでがメインですが、ちょうど私の母が少女時代だったころの話です。
「2.26事件のあった日は大雪で、女学校から下校するのが大変だった」とか、物資が不足したころの話など、母からよく聞かされていました。
また母の実家では、「ねえや」と呼ばれる女中さんがいました。
戦後、私が母の実家に遊びに行くと、そのころはもう女中さんはいませんでしたが、女中部屋というのがまだ残っていて、私たち子供はよくそこでかくれんぼなどをして遊んだ記憶があります。
そういう、ちょっと昔のことを思い出させる小説になっていました。
もうひとつの主題は、映画はどのような構成になっていたか分かりませんが、小説では女中さんの甥の子供という現代に生きる若者が、もう年寄りになったかつての奥様の子供と出会い、戦前・戦中・戦後の一連の真実が分かるという、複雑な構成をとったことではないでしょうか。
この作家の試みは、途中まで読んでいた時は、なんでこんなに複雑な構成にするのだろう、と不思議に思っていましたが、最後の最後のところで、すーっと話が繋がって、腑に落ちました。
あっと驚くミステリーのような展開でした。
こういう入り組んだ構成の小説は、小説家にとっては、きっとなぞ解き作りの楽しみでもあり、読者への挑戦状でもあるのでしょうね。
そういうところも直木賞受賞作品としての価値があるのでは、と思いました。
ところで、女中のタキが、外出先から帰ってきた奥様の着物姿を見て、帯の柄の出方が出かける前と違うので、不倫に気づいたとありましたが、でもこれってちょっとあり得ないのではないかしら。
帯の巻き方は、関東巻き、関西巻きといって、つまり帯を時計回りに巻くか、その反対周りに巻くかという二つの方法があります。それによって、柄の出方が変わってくるのです。
しかし、普通の人は自分の巻き方はどちらかに決めてあるので、いくら慌てても、反対に巻くことはないだろうと思いますね。
お太鼓の柄の出方が微妙に違う、とか、帯揚げの結び方が微妙に違う、というのは現実的だと思うので、そのほうが良かったのではと思いますが、それだと着物を着ない人には分かりづらいかもしれませんね。
それと映画ではタキ役の女優さんはかなりすっきりとしたスタイルの方でしたが、小説ではずんぐりむっくりの健康体と書いてあったので、ちょっと違うかな。
青年役は吉岡秀隆だったそうですが、それも違いますね~。
私自身は戦前の生活は話に聞いているだけで、実際のことは良く分からないのですが、この小説では、戦前の東京を描くということにおいては、かなりうまく書けていると思います。
食糧難の時代であっても、タキの作る創作料理は本当においしそうで、目の前に浮かんでくるようでした。
また登場人物の東京弁の言葉づかいもきれいで、読んでいて気持ちよいものでした。
この時代とは比較できませんが、私の娘から、教科書に載っている「昭和の暮らし」というのを見て、「お母さんの子供のころはちゃぶ台でご飯を食べていたの?」と聞かれたことがありました。
しかし戦後でも、我が家にはダイニングテーブルがあり、そこで椅子に座ってパンを食べていました。
「教科書とは違うわよ」と話しても、娘世代には、戦後の生活というのは、きっとすごく貧しいものだと思っているのでしょうね。
戦後でも、近所の友達の家には今では考えられないほど立派な応接セットがあり、応接間には百科事典がズラリと並んでいました。今の「リビング」などというチャチなものではなく、そこは本当に「応接間」なのでした。
そういう昭和の生活風景があったということは、忘れられているのかもしれませんね。
歴史をステレオタイプで考えるのは、事実とは異なりますね。
赤い三角屋根の小さいおうち、映画は見ませんでしたが、小説としては十分に堪能できました。
2 件のコメント:
私は映画は見ましたが、本は読んでいません。
正確に言うと、始めの3ページくらい読みました。つまらなかったのではなく、図書館で借りてきたのだけど、返却期限が過ぎてしまったの(汗)
映画の中では黒木華は女中役にはまっていたと思います。なんか、いもっぽいというか。松たかこと並ぶと、やっぱり女中にしか見えませんでしたもの。
昔は、ちょっとした家には女中さんがいましたよね。
子供時代を過ごした浜松の隣家には、いつも若い女中さんが二人いました。
年ごろになると結婚相手をご主人が探して嫁がせたみたいです。それでまた、代わりの若い女中さんが来るのよね。
今の家政婦さんと違って、行儀見習いという側面もあったのかもしれませんね。
マサさん、私は女中さん役の女優さんは、映画の授賞式の時の印象しか知らないのですが、映画ではもう少し野暮ったかったのかな。
私の知人の家には、「ねえや」つまり女中さんと、「ばあや」がいて、家の中に他人がいるというのは普通の感覚だったようですね。今ではちょっと考えられませんが。若い奥さんよりも先代からのばあやのほうがその家を取り仕切っていたようですね。
そういえば、大昔、左幸子が出ていた「女中っ子」という映画があったような気がします。
今では女中というのは差別用語になっているみたいですが。
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