私は理系人間ではないのに、どういうわけか、理系の人とお仕事をすることがありました。
学校を卒業して一番最初に就いた仕事は、地震や火山や地質を研究している人たちとの仕事でした。
今からもうかれこれ45年ほど前のことになりますね。
もちろん昭和の時代です。
当時はパソコンはもちろんのこと、FAXもコピーすらもありませんでした。
複写が必要な時には、青いカーボン紙をはさんでいました。
電卓は使っていたと思いますが、とにかくアナログな時代でした。
書類はすべて手書き、ワープロすらありませんでした。
英語の文書は英文タイプライターで作りましたが、今はタイプライターなどあるのかしら?
電子メールがなかったので、郵便物の発送や受取はよくしましたね。
世界各国から郵便物が届きましたが、それに貼ってあった珍しい切手を眺めるのは楽しみでした。
当時は、職場のあった東大地震研究所が全共闘によって封鎖されていたので、私たちは入室できましたが、教授クラスは構内に入ることができず、たまに外から電話などで指示があるといった感じでした。
ということで、仕事はのんびりとしていましたね。
それでも研究者の先生たちと会議を開いたり、専門誌を作ったり、大会の運営をしたりしていました。
その仕事は、はからずも50代を過ぎた頃に関わった仕事と内容はほとんど同じでしたが、スピードがまるで違いました。
メールもなく、テレビ電話もなく、ほんとうにゆっくりとした時代でした。
その業界ではけっこう有名な方もいらっしゃり、文系の私も少しは地震や火山について学ぶこともできました。
両方の時代に、同じような内容の仕事に関わることができたのも、面白かったですね。
ちょっと昔話をしてみました。
2 件のコメント:
私も継続して理系の人たちとの仕事でしたが
とても面白かったですね。
今でもいろいろな先生たちを時々、思い出します。
科研費とかでいろいろなことがあり、権力的なところも
ありましたが、ピュアな研究者も多くて、研究会などで
発表を聞くと内容が良くわからなくても、そのアプローチの仕方とか
おもしろかったです。
事務も全く変わりましたね。何しろワープロがまだなかった時代
でしたから。
トントンはお仕事をずっと続けていたから、いろいろと思うことも多かったでしょうね。
私はたいした仕事はしていませんでしたが、それでも門外漢ながら、理系のことを知るのは面白かったわ。
またテレビや新聞のコメントなどで知った先生が出ていると、嬉しくなったりもしました。
ワープロもなく、よくあの下手な字で宛名などを書いていたと思うと、恥ずかしくなりますね(笑)。
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