2023年1月6日金曜日

【次太夫堀・六郷用水 3】世田谷区立次太夫堀公園へ

小泉次太夫さんに会いに、世田谷区立次大夫堀公園まで行ってきました。

こちらは園内のパンフレットから。

行きのルートは、私鉄を乗り継ぎ、小田急線の成城学園駅からスタートしました。

帰りはバスに乗り、世田谷通り、狛江通りを通って戻りました。

次大夫堀公園は小田急線の成城学園駅南口から徒歩で15〜20分くらいのところにあります。高級住宅街を通り、明正公園を過ぎました。


次第に下り坂になります。

このあたりはかなり急な坂道です。私は下っていたので楽でしたが、下から登ってくる人は大変そうで、自転車の人は降りて押していたくらいです。


そこから少し先の、成城通りと世田谷通りが交差する場所は、急坂の上、非常にややこしい階段になっていました。降りるとすぐに横断歩道なので、信号が青になるうちにと急いでいたら転びそうなところでした。


その交差点を通り過ぎてから振り返って写した写真です。手前は川へ向かう下り坂、右上は急な階段の上り坂です。ここを毎日歩く人は大変だろうなと思いました。


坂を下って、喜多見大橋を渡ります。


野川がゆったりと流れていました。

川に沿って少し歩くと、次大夫堀公園の入口です。お正月らしい飾りがありました。


こちらは小泉次大夫さんの姿が彫られている石碑です。これを見たかったのです。「巡検図」というもので、中央には馬に乗った次太夫の姿が描かれていました。

ここは入園無料なので、近くの親子たちが遊びに来ていました。

まずは管理事務所の展示室で説明を見ました。

こちらの絵画を元にして、上の石碑が作られたのだろうと思います。中央の馬に乗っているのが次太夫です。お供の人もたくさん見えますね。

次太夫という人は、生まれは駿河国富士郡小泉郷というところでした。(現在の富士宮市小泉)代々、用水開発をしていた家の出身でした。

そして若いときに家康の軍で活躍をしたので、彼の知識と経験を買われて、家康に家臣として取り立てられたそうです。

その後、住まいを移して、用水奉行として活躍したころに、出身地の小泉という場所にちなんで、小泉という姓を名乗ったそうです。

彼のすごいところは、多摩川流域の開発を2箇所、ほぼ同時に行ったことでした。

多摩川の左岸(現在の狛江市、世田谷区、大田区)の六郷用水と、多摩川の右岸(現在の稲田堤、川崎)の二ヶ領用水の開削に携わりました。

ちなみに六郷用水は約23キロ、二ヶ領用水は約32キロとのことです。

当時は現在のような重機はなかったので、人力だけが頼りだったと思います。近隣の農民のパワーを借りて、作業を進めたのでしょうね。

次太夫さん、すばらしい仕事をしましたね。

公園の中には小川がチョロチョロと流れていましたが、これが江戸時代初期に作られた堀なのでしょうか。




冬なので公園にはほとんど人はいませんでしたが、のんびりとしていて良いところでした。

小川に沿って歩いていくと、いくつか橋がありました。

こちらの内田橋はかなり古そうでした。日差しが強くて、ちゃんと写せませんでした。


公園の中には民家園がありました。主に江戸時代後期の民家が数軒、残っていました。

公園のその先には竹藪があったり、トンネルがあったりしました。


パズルトンネルといって、壁面には卵型の丸い形を分解して、デザインしたものが描かれていました。

こちらが公園の中の小川の最終地点でした。この水路は600メートルだそうです。


そしてその先を辿ってみると、大きな川が流れていました。野川でした。左に見えるのは水道橋。

川の対面にはなんだか分かりませんが、巨大な工場のような建物があり、「撮影禁止」という看板がありました。気になりますね。

こちらは上の写真からは右にある、野川にかかる大正橋。

公園と野川の位置関係はこんな感じです。北側は右斜め下になります。方位は北を上にしてもらいたいものですが。

この公園にはいくつか入り口があります。

「次太夫堀公園前」のバス停の近くの入口には、不思議なものが置いてありました。

説明がありませんでしたが、昔の堀の一部でしょうか。

次太夫さんを訪ねての小さな旅でした。

次回は彼が祀られているという川崎のお寺にも行ってみたいものです。

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「一日一句」

新年は 次太夫訪ね 世田谷へ


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