2023年10月20日金曜日

【次太夫堀・六郷用水 8 ニケ領用水 19】武蔵小杉 御殿跡と陣屋跡

先日は、JR南武線の武蔵小杉駅で下車して、まずは川崎市中原区役所へ向かいました。


ここは、以前も来た場所です。
サッカーのフロンターレ川崎の応援をしているようです。

今回のお目当ては、徳川家と関係のある武蔵小杉が、NHK大河ドラマ「どうする家康」のパネル展示をするというのでやってきました。

ところが区役所の玄関脇にこちらのパネルが置いてあるだけで、他には何もありませんでした。


それはないでしょ、と思い、受付の人に尋ねたところ、武蔵小杉周辺の分かりやすい地図と資料をいただきました。
そして私が行きたい西明寺の近くに住んでいるという職員さんが、行き方まで丁寧に教えて下さいました。

私はテレビを見ていないので、こちらのパネルを見ても、どの役者さんがどの役だかよく分かりませんが、小泉次太夫さんも登場するのかな?


いざ、出発。

ツインタワーの脇を北へ歩いていきました。


このあたり、小杉御殿町という地名なのですが、どこを見ても御殿と名付けられたものばかりでした。

マンション名はもちろん、公園も御殿町公園でした。なんだか格調高く感じられますね。


西明寺の信号に到着しました。


このあたりはかつて徳川将軍が休憩所として使ったところで、小杉御殿跡となります。
江戸時代初期には、江戸と駿河や京都を結ぶ道路はこの武蔵小杉を通っていたので、それで徳川家が休憩や鷹狩などのため、秀忠の時代に、ここに小杉御殿を建てたのだそうです。
その後、東海道ができて、武蔵小杉は利用が減ったそうですが、今でも古くからのお店などが残っていました。


この辺りは敵の侵入を防ぐために、道が直角の鍵形に曲がって作られていました。

長い参道です。


明治初期には、お寺の本堂に学校が作られて、教育の場となったそうです。


西明寺の入口に立っている石碑。
このお寺は小杉御殿と隣接しているので、家康も西明寺を崇敬していたようです。祈祷料として御朱印地を寄進したという説明がありました。


この橋を渡ると西明寺になります。


お寺の入口に橋があるのは、珍しいのではないでしょうか。


本堂。


立派な鐘撞き堂。


西明寺を後にして、こんどは小泉次太夫が二ヶ領用水を作ったときに使った陣屋を探しに行きました。

小杉陣屋町の信号です。


この公園の近くにあるはずなのですが、なかなか見つかりませんででした。


あちこち歩き回って、また公園に戻ってきて、疲れてふと後ろを振り返ると、そこに「小杉陣屋」の跡がありました。


説明には「稲毛領、川崎領を潤す二ヶ領用水の建設。徳川家康の命を受けた代官小泉次大夫は、ここに陣屋を設け、14年に及ぶこの難工事の指揮にあたった。地名「小杉陣屋町」はこれにちなむ。と書かれていました。


土地のお酒が供えられていました。


「中原街道」「御殿」「陣屋」というお酒でした。


その後は妙泉寺祖師堂を探しました。
妙泉寺は、小泉次大夫が約400年前に建立したお寺です。用水工事がうまくいくように祈願して建てたお寺だそうです。当初は住職がいましたが、その後、本堂を川崎区に移したため、無住職になりました。大正時代に祖師堂が建立されて、地域の人が保持したそうです。
ここは現在は中には入ることができませんでした。


入口の扉の隙間から背伸びして、写してみました。
小泉次太夫という文字がはっきり見えました。


近くの公園でちょっと休憩。


この公園には「神明神社跡」という石碑が立っていました。


この辺りはお寺が多いところでした。
こちらは成就院。


このあたりは中原街道です。新丸子まで歩くことにしました。

江戸まで10キロ、平塚まで50キロと書かれていますね。家康は平塚を経由して、ここ武蔵小杉にやってきたわけです。


原家という昔の住宅が残っていました。明治時代の建物があったそうです。


かつての中原街道の賑いの様子です。


「徳川家康と中原街道」という講演会も開催されるようです。


こんなふうになっていて、ちょっとした公園のようでした。


旧原家を後にして新丸子駅まで向かう途中に、古めかしい温泉がありました。


無事に新丸子駅まで到着。


この日はおよそ12,000歩、歩いたようです。


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「一日一句」

お奉行も 何度往復 この街道 


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