平右衛門さんの足取りを追跡して、埼玉県鶴ヶ島市まで行ってきました。
ここは平右衛門さんが武蔵野新田開発のために建てた陣屋の跡が残っているところであり、そこには彼を祀った祠があるというのです。
鶴ヶ島は川越の先にあり、今では埼玉県の一部ですが、江戸時代には武蔵野国の入間郡に含まれていたところです。
これまで鶴ヶ島市役所の生涯学習スポーツ課の担当者とメールでやりとりしていたので、まずは市役所へ向かいました。
とにかく乗り換えが大変でした。京王線(2回乗り換え)→南武線→武蔵野線→東武東上線→つるバスを乗り換えて出かけました。
東武東上線の若葉駅に到着しました。
とてもオシャレな駅舎でした。
ここから「つるバス」というコミュニティバに乗りました。市内にはこのようなミニバスがたくさん走っていました。住民の足として活躍しています。また「つるワゴン」というもっと小さな乗り物もありました。
こちらが市役所です。
ところが私がやりとりしていた担当部署は、少し離れた別の分館になるというので、その前に平右衛門さんの陣屋を訪れることにしました。
日光街道に沿って地図を頼りに10分ほど歩いて行きました。「三角原」という場所です。
すると目指す場所で、二人の男性が作業をしていました。なんと祠が雨風のため、周囲の板が壊れてしまったので、直しているところでした。
文化財の保管は大変だなと思いました。
こちらがその祠です。
かつてはこの周囲のほとんど畑だったようですが、現在はすぐ近くまで民家が建っていました。
こちらが正面です。
中には「川崎大明神」と書かれた石碑があるそうです。
これが造られたのは寛政10年(1798)6月6日で、平右衛門さんの死後30年ほど経った命日でした。5つくらいの村の人たちが建てたという文字も刻まれています。
その祠の手前の板が剥がれてしまったので、修理をしていたところなのでした。
平右衛門の時代には吉宗の「享保の改革」が行われていて、幕府の財政建直しのために、年貢増収策が行われていました。
解説版もありました。
修理担当の方に、いろいろと説明していただきました。
そして市役所の分館である文化財整理室まで、また10分ほどテクテクと歩いて行きました。
そこはとてもレトロな建物で、映画のワンシーンにでも出てくるような木造の建物でした。
「鶴ヶ島市遺跡調査会 文化財整理室」という表札がありました。
担当の方によると、この建物はかつては鶴ヶ島小学校の校舎だったところだそうです。
いろいろとお話を伺い、資料もいただきました。知らなかったお話も聞けてよかったです。
その後は白鬚神社へ。
ここは脚折(すねおれ)という地名です。難しくて読めませんね。
雨乞いの儀式が行われるところです。
すごい巨木が残っていました。樹齢900年の県の天然記念物だそうです。倒れそうなので、後ろ側には支えがありました。
この先の雷電池(かんだちがいけ)にも行こうと思ったのですが、この日は時間の制約があり、仕方なく戻ることにしました。
といってもこのあたりはバスも通っていないので、ひたすら歩き続けました。
そして今度は坂戸駅まで向かいました。かなり歩きました。
坂戸駅は、なにやらとても立派な駅舎でした。
鶴ヶ島市と坂戸市はお隣同士で、地形も入り組んでいるところでした。
私の住んでいる調布市と比較してみると、鶴ヶ島市の面積は調布市の約80パーセントです。人口は調布市は24万人ですが、鶴ヶ島市は7万人と3分の1以下です。ですから面積の割には人口が少なく、それでゆったりとした雰囲気があると感じました。
鶴ヶ島市には、またお邪魔したのでした。