2025年3月30日日曜日

着物でお花見@小金井桜

お花見は日時の設定が難しいですね。

先週、着物友達と一緒に、小金井公園の桜を見に行きましたが、まだ3分か5分咲きでした。それでもとても暖かい日で、日差しが強く、日傘が活躍してくれました。

中央線の武蔵小金井駅で待ち合わせました。駅にはこんなきれいなポスターが貼られていました。

目的地の小金井公園は駅からバスで少し行ったところですが、あいにくとバスが出たばかりだったので、タクシーを利用しました。3人だとバス代とたいして変わりありません。

玉川上水にかかる小金井橋のたもとでタクシーを降りました。


ここは広重の浮世絵にも描かれた場所です。


ここで小金井桜についての解説をさせていただきました。というのも、ここは私の論文テーマである川崎平右衛門さんが土手の修理をしたり、奈良などから桜の苗を持ち込んで植えたところなのです。今から250年以上も前のことですが、今では小金井市の有形文化財となっています。

その後、ここは江戸庶民のお花見の場として有名になり、多くの人で賑わうようになりました。

昔の煉瓦の橋も残されていました。


ここから桜の木の下を土手を歩きました。全開してしまった木もあるし、まるでつぼみの木もありました。花びらの色も白っぽいものから、かなり派手なピンクまでありました。

フェンスには桜のはなびらが描かれています。


足下には可憐な水仙が咲いていました。


上水桜通りという道に沿って、小金井橋、陣屋橋、新小金井橋、平右衛門橋まで歩きました。1キロくらいだったかな?

知らない間に写されていました。


こちらは玉川上水の歴史遺産を守ってね、という案内です。


私の好きな平右衛門橋に着きました。


Sさん、目が開いてなくて、ごめんなさい。 実は黄緑の着物は私が着ていたものなのでした。
Uさんは、コートの下は、白大島でした。

満開になるのは、もう少し先かもしれないですね。
こちらはもう葉が出ていました。


この平右衛門橋は人間専用の橋で、車は通れません。

その後は向かいの小金井公園の近くを歩きました。

公園の広場には、割と桜が開花していました。


濃い色の桜や、淡い色の桜が咲いていました。


私はこの日の夜に、急用が入ってしまったので、あまりゆっくりお花見ができませんでしたが、平右衛門さんを偲ぶことができたので、良かったです。

ご一緒していただいたUさん、Sさん、ありがとうございました。

写真も使わせていただきました。

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この日の装い。

3月でしたが、木綿の着物にしました。ピンク、紫などが入っていて、気に入っているのですが、洗濯の度にサイズが小さくなっているようです。

帯は黒の幾何学模様。

どちらも着物を着始めたころのものです。

2025年3月29日土曜日

会員制のお食事

世の中は、テレビでもネットでも雑誌でも、グルメ特集が目白押しですね。

私自身は、めったに外食をしないので、そういう情報はあまり役立ちませんが。

ところで、先日、都内某所でとても美味しい食事をいただく機会がありました。

そこはある会員制の場所でした。私は知人から招待していただいたのですが、そこは看板もでていないし、外見だけからはまるで分からない場所でした。

静謐な雰囲気の中で、美味しいお食事を味わうことができ、とても満足できました。

目の前で揚げて貰うスタイルの天ぷらコースでした。板前さんが持っているのが、その食材です。


厳選された食材、確かな技術、丁寧なサービス、どれも満点でした。

前菜だけご紹介しますね。グリーンピース豆腐でした。ピンクの百合根が可愛い。

私はたまに外食をしても、舌に合う料理であることはめったになくて、夫の作る料理が一番おいしいと思っていましたが、今回だけはほんとうに満足できた食事でした。

ほんとうにご馳走様でした。

この日の装い。

抹茶色の小紋に緑の名古屋帯。






2025年3月27日木曜日

鶴ヶ島へ 2

前回の鶴ヶ島行きは、時間に余裕がなくて、早めに引き上げてしまいました。それでもう一度、出かけてみることにしました。

2度目の鶴ヶ島訪問の最初の目的地は、隣接する坂戸市にある神社でした。

東武東上線を下車した駅は、鶴ヶ島市ではありませんが、前回と同じ若葉駅でした。今回はそこからバスには乗らずに歩いて目的地まで行きました。とても広々とした立派な道路でした。そしてちょっと迷いましたが、目的地に到着。


神明神社です。

ここに平右衛門さんの碑があるというので、敷地内に入ってみました。

ありました。こちらが大明神の石碑です。ただし何の解説もないので、あまり気づく人もいないだろうと思いました。

その後は雷電池(かんだちがいけ)というところに行ってみることにしました。距離にすると1.5キロほどでしょうか、高速道路のところでちょっと道を間違えて大廻りしてしまいましたが、なんとか辿りつけました。


鳥居もありました。
「雷電社」と書かれていました。


ここは雨乞いの神社なのです。
下の説明板にあるような、奇妙な形の龍を作り、それを担いで白鬚神社から雷電池までねり歩く行事です。この龍はなんと重さが3トンもあるのだとか。
「脚折雨乞」(すねおりあまごい)という行事だそうです。昔の農民にとっては、雨が降らないのが一番困ったのですよね。

ここの池は鶴ヶ島市発行の冊子「郷土の恩人 川崎平右衛門と北の陣屋」に載っていた場所です。教育委員会の方から教えていただいたので、普通の書物などでは載っていないのですが、ここもかつては平右衛門さんが関係した場所だということでした。

細長い池があり、平右衛門さんはその工事をしたという説もあるそうです。彼は井戸や池、用水などの水関係の工事も実施していました。


その工事は2.5キロほど続いていたそうです。その結果、不毛地帯が潤いました。

現在、その堀は殆ど埋もれてしまいましたが、発掘調査によって遺跡が復元されました。
幅2㍍、深さ3㍍の大きさだったそうです。


岩に神社の形が彫られていました。


現在は子供向けの遊具があり、児童公園として、またゲートボールができるような公園になっていました。

その後は、鶴ヶ島市の図書館に行ってみることにしました。バスも何もないので、ひたすら歩いて行きました。

雷電池から白鬚神社までの道が見えますね。


久しぶりに橋を写してみました。「越戸橋」でした。


飯盛川(いいもりがわ)に架かる橋ですが、このあたり、水は流れていないようでした。
鶴ヶ島市や坂戸市を流れている一級河川だそうです。


こちらは途中で見かけたヨーロッパ風の建物。どうも葬儀場のようでした。


前回と同じように407号線を行き、消防署のあたりでお店の人に図書館の近道を教えて貰いました。

図書館はすごく立派な建物でした。

館内の蔵書も充実していて、借りたいものもありましたが、市民ではないのでそれはできないので、手に取ってノートに写してきました。

帰りは運良く若葉駅までのミニバスに乗ることができました。

バスから眺めていると、カインズホームなどの大規模なショッピングセンターがたくさんあり、ここは車さえあれば生活しやすいところだと思いました。

帰宅して調べてみると、鶴ヶ島市は私の住んでいる所に比べて8割ほどの面積ですが、人口はおよそ3分の一以下なので、それで広々としていてゆったりと感じるのだろうと思いました。

これまで鶴ヶ島市というと遠い所だというイメージがありましたが、平右衛門さんのおかげでとても身近に感じられるようになりました。

この日のルートです。


また鶴ヶ島市まで出かけることがあるかもしれませんが、その時は迷わないで行けそうです。


2025年3月26日水曜日

修了式 & 祝賀会

先週、大学の修了式がありました。この日は特別、お天気が良かったようです。

一人一人名前を呼ばれて、壇上で修了証書を受け取りました。こけないようにソロリソロリと歩きました。

その後、ゼミの先生とともに記念撮影をしていただきました。

みなさん、一年間、お世話になりました。

その後、生協で祝賀会が開かれました。

先輩やOBたちも出席されたので、すごい人数になりました。

飲み物やお寿司、つまみなどありましたが、ほとんど口にできませんでしたね。

先生たちの祝辞は「ひとこと」といってもそれぞれ長くて疲れましたが、歌を披露された先生もいて、面白かったです。

お顔が写っている方は、学長とカレッジ長です。

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この日の装い。

黄色に扇面模様の付下げにしました。かなり目立った色でしたね。

私以外にも、袴姿だった先輩、ピンクの訪問着の方がいらっしゃいました。ダークスーツの多い集まりでしたが、きれいな色の着物はお祝いらしくて、良いですね。


この着物はもう10年くらい前のお正月に、銀座5のリサイクル着物屋さんで見つけたもの。


帯は、ふんずさんのお店で見つけた袋帯です。



2025年3月24日月曜日

久しぶりの観劇「黒蜥蜴」

このところ川崎平右衛門さんを追っかけて、武蔵野のあちこちに出没していました。

そして修了式も終わり、一段落したので、久しぶりにお芝居を観ることにしました。

なんと江戸川乱歩の「黒蜥蜴」です。

黒蜥蜴が初めて出版されたのは1934年だそうですから、もう今から90年以上も昔のことなのですね。三島由紀夫と美輪明宏の舞台が有名ですが、今回はfacebook友達の井田友和さんが明智小五郎を演じるというので、見てきました。

私にとって明智小五郎というと、天知茂のイメージが強く、また子供の頃は「少年探偵団」というドラマがあり、それに出ている小林少年という役が人気があったような記憶があります。

今回は怪人二十面相は登場しませんでしたが、黒蜥蜴が怪しいムードを出していました。

井田さんはもちろんスマートでかっこよかったですが、ベテランの脇役男性も良かったですね。

いつもながら、俳優さんというのは膨大な台詞を話しながら演技をされて、すごいものだと感心しました。

ぎっしりのお客さんもかなり年齢層が高かったと思います。

お芝居が終わった後の撮影タイムです。




皆様、お疲れ様でした。

下北沢の本多小劇場で見ましたが、久しぶりの下北沢は駅前がずいぶんと変わっていました。

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この日の装い。

先日、ネットで購入したポリの縦縞着物。
雨の日の通学にも着られるように、地味目のものを選びました。


帯の柄出しがうまくいきませんでした。とにかくタレが長すぎて、おまけに柄の位置がものすごくおかしいのです。


帰宅後、帯の三角の部分をほどいてしまいました。まあなんとか使用できそうになりました。


2025年3月22日土曜日

教授の退官講義

私のゼミの教授が、定年退職をされるので、先日、最終講義がありました。

他にもうお一人、定年の先生がいて、お二人揃っての講義でした。

階段状の広い教室で、遺伝子研究と臨床心理学の講義がありました。まるでタイプの異なる教授でしたが、お二人ともご自分の研究生活を振返りながらの講義でした。

遺伝子研究の教授は、アメリカの大学で学び、その後は東大で農学博士を取得して、動物実験を重ねたそうです。その後、ハーバード大学で分子栄養学に進まれたそうです。

また臨床心理学の教授は、横浜国大で心理学を学び、都立大で心理学相談をスタートさせ、その後、人生をリセットさせるためにロンドンの大学で学び直したという経験談も話されました。

講義は専門的内容でしたが、知らない分野の話題も興味深かったです。先生の専門は、私が調べていたこととはまるでジャンルが違いましたが、却って好きなようにさせていただいたので、よかったのかもしれません。

対照的なお二人でしたが、長い研究生活、お疲れ様でした。

その後は、スペイン料理屋さんで慰労会。

この会には教授の教え子たちが25人も揃ったので、賑やかでした。

飲み放題でしたが、サングリアは甘過ぎ。料理も私にはイマイチで、高い会費の割には、ちょっと残念だったかな。

まぁ大勢が集まれる場所だと仕方ありませんね。

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この日の装い。

最終講義の受付係だったので、ちょっとおめでたい柄の絞りの着物にしました。

帯は黒地にカラフルな模様。


2025年3月21日金曜日

鶴ヶ島市へ 1

平右衛門さんの足取りを追跡して、埼玉県鶴ヶ島市まで行ってきました。

ここは平右衛門さんが武蔵野新田開発のために建てた陣屋の跡が残っているところであり、そこには彼を祀った祠があるというのです。

鶴ヶ島は川越の先にあり、今では埼玉県の一部ですが、江戸時代には武蔵野国の入間郡に含まれていたところです。

これまで鶴ヶ島市役所の生涯学習スポーツ課の担当者とメールでやりとりしていたので、まずは市役所へ向かいました。

とにかく乗り換えが大変でした。京王線(2回乗り換え)→南武線→武蔵野線→東武東上線→つるバスを乗り換えて出かけました。

東武東上線の若葉駅に到着しました。


とてもオシャレな駅舎でした。


ここから「つるバス」というコミュニティバに乗りました。市内にはこのようなミニバスがたくさん走っていました。住民の足として活躍しています。また「つるワゴン」というもっと小さな乗り物もありました。

こちらが市役所です。

ところが私がやりとりしていた担当部署は、少し離れた別の分館になるというので、その前に平右衛門さんの陣屋を訪れることにしました。

日光街道に沿って地図を頼りに10分ほど歩いて行きました。「三角原」という場所です。

すると目指す場所で、二人の男性が作業をしていました。なんと祠が雨風のため、周囲の板が壊れてしまったので、直しているところでした。

文化財の保管は大変だなと思いました。

こちらがその祠です。


かつてはこの周囲のほとんど畑だったようですが、現在はすぐ近くまで民家が建っていました。
こちらが正面です。


中には「川崎大明神」と書かれた石碑があるそうです。
これが造られたのは寛政10年(1798)6月6日で、平右衛門さんの死後30年ほど経った命日でした。5つくらいの村の人たちが建てたという文字も刻まれています。

その祠の手前の板が剥がれてしまったので、修理をしていたところなのでした。

平右衛門の時代には吉宗の「享保の改革」が行われていて、幕府の財政建直しのために、年貢増収策が行われていました。

解説版もありました。

修理担当の方に、いろいろと説明していただきました。

そして市役所の分館である文化財整理室まで、また10分ほどテクテクと歩いて行きました。

そこはとてもレトロな建物で、映画のワンシーンにでも出てくるような木造の建物でした。


「鶴ヶ島市遺跡調査会 文化財整理室」という表札がありました。

担当の方によると、この建物はかつては鶴ヶ島小学校の校舎だったところだそうです。

いろいろとお話を伺い、資料もいただきました。知らなかったお話も聞けてよかったです。

その後は白鬚神社へ。


ここは脚折(すねおれ)という地名です。難しくて読めませんね。
雨乞いの儀式が行われるところです。


すごい巨木が残っていました。樹齢900年の県の天然記念物だそうです。倒れそうなので、後ろ側には支えがありました。

この先の雷電池(かんだちがいけ)にも行こうと思ったのですが、この日は時間の制約があり、仕方なく戻ることにしました。

といってもこのあたりはバスも通っていないので、ひたすら歩き続けました。

そして今度は坂戸駅まで向かいました。かなり歩きました。

坂戸駅は、なにやらとても立派な駅舎でした。

鶴ヶ島市と坂戸市はお隣同士で、地形も入り組んでいるところでした。


私の住んでいる調布市と比較してみると、鶴ヶ島市の面積は調布市の約80パーセントです。人口は調布市は24万人ですが、鶴ヶ島市は7万人と3分の1以下です。ですから面積の割には人口が少なく、それでゆったりとした雰囲気があると感じました。

鶴ヶ島市には、またお邪魔したのでした。