私の父方の祖母は、昔は「深川小町」と言われた(?)くらい可愛い人でした。
18歳くらいの時の写真をみたことがありますけれど、日本髪でパラソルをさしてドレスを着た写真でした。
たしか、明治26年の生まれだと聞いたことがあるの。
ちゃきちゃきの下町っ子で、粋というか、ハイカラというかそんな感じのおばあちゃんでした。
私は赤ちゃんの時からおばあちゃんとは同じ敷地内に住んでいて、親から怒られた時などは、おばあちゃんの家に上がり込み、甘いお菓子をもらったりしていました。
おじいちゃんが亡くなったのは、多分、まだおばあちゃんが60歳前のことだったと思うのだけど、それから30年以上、後家さん暮らし。
でも毎日たくさんの友達の中で、楽しく生活していたようです。
歌舞伎や謡曲が大好きで、お祝い事の席ではいつも一曲、歌っていたものでした。
年をとってもとてもおしゃれで、マニキュアを塗ってあげると喜んだり、海外旅行のお土産には「コティのおしろいを買ってきて」というようなおばあちゃんでした。
そんなおばあちゃんの生まれ育ったところを見たくて、先日、深川かいわいに出かけてみました。
まずは地下鉄の門前仲町駅のすぐ近くにある「富岡八幡宮」。
ここは江戸で一番大きな八幡宮だとか。
大きなわらじがお守りのようです。
その後は「深川不動堂」まで行ってみました。
ここはあまり期待していなかったんですけれど、建物の内部を見学することができて、面白かったわ。
天井に描かれた見事な蓮の花の絵(HPに掲載されています)や、たくさんの金ぴかの仏像などが鎮座していて、今まで見たことのなかった驚異の世界でした。
そして、「清澄庭園」。
ここは昨日までのブログをご覧ください。
歩き疲れた後は、「伊せ喜」というお店に行きました。ここはどじょう鍋で有名なの。
甘辛くすきやきのような味で、ごぼうがたくさん入っていました。
この近くは、漫画「のらくろ」の生まれ故郷だそうで、「のらくろーど」という商店街になっています。
のらくろというのは、「野良犬の黒」。
私はこの漫画をリアルタイムで見た記憶はないんですけれど、この作家の田河水泡さんは、サザエさんの作者・長谷川町子さんや手塚治虫などもお弟子さんだというくらいすごい人のようでした。
私のおばあちゃんは、「高橋」(たかばし)というところにいたそうなんですけれど、それも、もう今から100年以上も前の話。
今はマンションやお店がひしめき合っていて、明治時代とは景色もまるで変わってしまったけれど、隅田川の流れだけは今も昔も変わっていないでしょうね。
12 件のコメント:
としちゃんのお母さまも、ご趣味などからして、粋な感じがしますよね。
としちゃんも、地方で生まれ育った私から見ると、ハキハキして粋な感じがします。
粋な雰囲気が、受け繋がれているのかもしれませんね。
門仲、大好きなところです。私が姉妹のようにしている後輩がここに住んでいるのです。お不動さんにはよく行くし・・八幡様の酉の市なんかも・・それで当てた!(笑)
お不動さんの天井が中島千波さんの・・素晴らしいですよね。
すれ違う粋なおばあさんなんて見てしまうとすごく嬉しくなる。
こんばんは。素敵なところですね。深川は本当に名前は良く聞くものの、行った事がなく、行きたいと思っている場所のひとつです。東京の下町って本当に独特の雰囲気があって、そこに漂う粋な空気がなんとも素敵で、憧れです。また、住まわれる方々には独特の雰囲気があって、言葉では表現出来ないのですが、その雰囲気にずっと惹かれています。
いつもながら、見せて頂いた後に小旅行した気持ちになれました。ありがとうございます。
マサさん、私自身は東京の西のほうの育ちなので、下町のことはよく分からないの。でも下町の人って、きっぷがよいという感じはするわね。
祖母の話言葉は、「ひ」と「し」の区別がつかずに、私も長いこと、潮干狩りは、「しおしがり」だとばかり思い込んでいたわ。日比谷と渋谷もごちゃまぜでしたよ。
おお、トントン、門仲というあたり、ツウじゃないですか!
普通は「もんぜんなかまち」と呼んでしまうけれど、そこに住んでいる人から「なかちょう!」と言われたことがありますよ。
お不動さんの天井の絵は感激したわ。あんな大きな蓮の花、見たことなかったもの。
日々是写真日和さん、深川あたりのことはいろいろな小説にもでてきますけれど、最近では宮部みゆきの小説にも多く登場しますよ。
佃島あたりも行ってみたいのですが、今は高層マンションばかりかもしれないですね。
大した写真もないのですが、小旅行だと思っていただいて、嬉しいですよ。
粋な感じというのは憧れるわね。
としちゃんのおばぁちゃまの写真見てみたいわ。
お洒落なお年寄りは見てても気持ちいいものね。
私の父方の祖母も日本髪を結って凄くきれいな写真があってね。
早死にしたので私は写真でしか知らないけど~会ってみたいと思わせます。
さとさん、普通の人の日本髪っていいですよね。私のおばさんなどは、かなり長い間、日本髪を結っていた記憶があるわ。
私は着物もちゃんと着られなくて、残念だわ。
今回のブログはとても興味深く見ました。
としちゃんとハイカラで下町っ子のおばあちゃんが重なって見えてきました。
としちゃんのお母様も三味線やお琴を
やっていらしてなんとなく粋なそんな感じがしましたが、お父様の方の家系もそんな感じなのですね。パラソルに日本髪と言うところに
新島襄夫人の八重を思い出しました。
着物に帽子をかぶっていたとか・・
カンカン、下町の雰囲気を伝えようと思っても、今は大通りはほとんどビルになってしまって、イメージがちょっと変わってしまったみたいです。横道に入れば昔ながらの風景もあるのでしょうが・・・。
勝手に下町をイメージしてはいけませんね。
新島八重さん、存じ上げませんけれど、ウィキペディアで調べたら会津藩の人だったんですね。裏千家の先生でもあったのね、へー、
ちっとも知りませんでした。
私も知ったかぶりしてNHKの歴史の番組で始めて新島八重を知りました。ハンサム・ウーマンですって。今までハンサムは女性につく形容詞と思っていませんでした。
最後には新島襄の教え子たちとも和解して
よかったです。はじめて赤十字の看護婦として戦地でも働いたらしいですよ。チャレンジ
し続けたすごい人です。あの時代に恐らく留学していたような人がお茶の世界に入っていくのもすごいですね。
ふむふむ、新島八重さんって明治、大正、昭和を生き抜いた人ですよね。その頃の女性ってすごい方がたくさんいますね。
新島襄は同志社でしたよね?
そういえば、去年、同志社大学のところを通りました。レンガ造りの古くて威厳のあるたてものでしたね。
この前、青鞜社の平塚雷鳥の生誕地というところを通りましたが、マンションになっていて、ちょっとがっくりしました。
明治の女性は強かったんですね!
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