タイトルは「蘇った辻が花 ~日本の絞りの美にふれる~」。
これは座学と見学の2回講座です。
まずは1回目の座学から。
講師は東京国立博物館学芸部調査研究課工芸室長の小山弓弦葉(おやまゆづる)さんという方でした。
「辻が花の誕生」▼の研究で、昨年度の日本学術振興会賞や日本学士院学術奨励賞を受賞された研究者でいらっしゃいます。
「幻の着物」「、謎の着物」と言われる「辻が花」について、研究者の立場から詳しく説明していただきました。
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お話をちょっとまとめてみました。
いわゆる「辻が花」というのは、室町時代中期から安土桃山時代、江戸時代初期にかけて制作された絞りの技法として知られています。
当時は、若い女性や子供が着る着物の一種だったようです。
また武田信玄などの武将が、辻が花の小袖を着ている肖像画もあります。
徳川美術館には、家康が着用したものも残っているそうです。
そのような資料から見ると、当時の辻が花というのは、「絞り染め」+「描き絵」の技法を用いたものでした。
その技法は、まず下絵をつゆ草の汁で描き、その模様に沿って麻糸で超細かく縫い、それを絞ります。そして色が入らないように竹の皮で包み、染料に漬けます。その後、糸をはずして、絵を描き加えるという技法だったようです。
こちらは15世紀ごろに作られた「三十二番職人歌合せ絵巻」にある辻が花を着た女性像です。
白い麻の上着に赤い花模様がありますが、絞り染めではないとのことです。
当時の「辻が花」は、今日とは意味合いが異なっていたわけですね。
その理由をただすために、いろいろな資料に当たってみると、慶長年間に作られた「日葡辞典」(日本語とポルトガル語の辞典)に「つじがはな」の記述がありました。
そこでポルトガル語を正しく翻訳してみると、「辻が花は赤色を主とした木の葉などの模様」という説明があり、絞り染めとは書かれていなかったことが分かりました。
こういうところまで追求するのは、本当に研究者というのは、すごく粘り強いものだと思いました。
今のように辻が花というと「絞り染め」として認識されるようになったのは、明治時代ごろのようです。
また現代の「辻が花」作家としての久保田一竹さんの生涯についてもお話されました。
久保田さんは、もともとは友禅染の作家でしたが、昭和14年に東京国立博物館(当時は帝国博物館と呼ばれていた)で、辻が花染の布と出会いました。それは本当に小さな端切れでしたが、その魅力に取りつかれました。
しかしその後、太平洋戦争に出兵して、シベリアに抑留。
昭和26年に帰国して、その後、辻が花の研究に没頭されました。
そしてようやく60歳にして、辻が花の着物を作り上げたそうです。
ただし、久保田さんの技法は、安土桃山時代のものとは少し異なります。
その技法ですが、絵羽模様に仮仕立てしたものに下絵を描き、糸で細かく縫います。
そこに刷毛で色を付けて、その後ビニールをかぶせて、それを糸で括り、そして色を染めます。
その後、蒸して、水洗いをしてから絞りの糸を外します。
これは友禅染のやり方を取り入れたことになります。
安土桃山時代に存在した辻が花と、久保田さんの辻が花、そしてそれ以前のもっと古い時代にも辻が花の原型のようなものがあった、というのは、今回の講座を聞いて初めて知りました。
生前の85歳くらいの時のビデオでしたが、とてもエネルギッシュな感じを受けました。
講座は今回は座学でしたが、次回は市のバスに乗って、河口湖にある久保田一竹美術館▼まで出かけます。
楽しみです。
入場料、バス代込みで参加費3000円というのも、いいでしょう。
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この講座はすごく人気の高い講座だそうで、私も朝から公民館に電話をかけまくって、ようやく受講することができました。
そのようにして当選した辻が花がテーマの講座でしたので、きっとみなさん着物好きだと思いますが、私以外にはどなたも着物の参加者はいらっしゃらなくて、ちょっと残念でしたね。
この公民館の近くには武者小路実篤記念館があるのですが、雨が強くなってきたので、今回は園内のお散歩はパスしてしまいました。
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この日の装い。
9月末で、まだ蒸し暑く、小雨が降っていた日でしたので、木綿ちりめんの型染着物にしました。
ところがそれでも暑くてたまりませんでした。
こう暑い日がいつまでも続くと、透けない夏着物が必要ですね。
帯はうたどんさんのお母様からのいただきもの。
ざっくりとした生成り色の生地に、木の実のような模様が描かれています。
帯揚げと帯締めだけは、少し秋らしくワイン色にしました。
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