2018年7月12日木曜日

「ショパンとドビッシー」4 円熟から晩年へ

市民カレッジ「ショパンとドビッシー 生涯と作品」の最終回でした。


今回は、ショパンとドビッシー2人の、円熟期から晩年についてお話を伺いました。

ショパンは39歳という若さで亡くなっています。
原因は肺結核だったと言われています。
彼は最後までポーランドに対する郷愁と愛情を持っていて、そのためか、彼の遺体はパリに葬られましたが、心臓だけは遺言によりポーランドの教会に送られた、ということでした。
ショパンはジョルジュサンドとも憎しみ合い、そして分かれました。
かなり気性が激しい人だったようです。

今回、演奏していただいた曲は
「遺作」
「幻想交響曲」
「ポロネーズ 5番」でした。

「遺作」は映画「戦場のピアニスト」でも使用された曲で、きれいな曲でした。
この曲は、彼の死後、ピアノの後ろに楽譜が落ちていて、それで見つかった曲だそうです。

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ドビッシーについては、よくわからない人だというのが印象です。
かなり神経質で、悩み事が多い人だという感じがしました。
彼は日本でいうと明治5年に生まれ、大正7年に亡くなっています。
およそ夏目漱石と同時代の人だったわけですね。
晩年には第一次世界大戦が勃発して、このことで彼は音楽には手が付けられなくなってしまったそうです。
初めて子供が生まれたのが、43歳の時で、その後「子どもの領分」という曲を作曲しました。
今回は、その中から4曲弾いていただきましたが、「ゴリウォーグのケークウォーク」という曲は、どこかで聞いたことのある曲で馴染みがありました。

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ピアニストの先生には、毎回素敵な演奏をしていただきました。
市の施設のぼろいピアノでしたが、とてもよい音を出していました。

来年度はベートーベンについて、解説と演奏をされる予定だそうです。
とても人気のある講座なので、抽選に当たらないとダメですが。

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いただきものの夏着物です。
素材は何か分からないのですが、かなり透けている夏着物です。


教室のクーラーがすごく効いているので、着物でないと寒くて大変です。
でも会場に着くまで、炎天下を歩いて行くので、それも大変で汗だくになりました。

帯もいただき物。
紫がかった淡いピンクの絽の帯です。



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