2023年6月21日水曜日

玉川上水を歩く 19(桜橋〜鷹の橋)

6月の梅雨の合間の玉川上水歩きですが、ようやくそこに架かる橋のレポートとなりました。

スタートは「桜橋」

この橋のことについては「玉川上水を歩く 17」で詳しく紹介したように、新旧2つの橋を確認することができました。


次は「一位橋」です。


堂々とした立派な橋名が描かれていますね。
名前の由来を色々調べたのですが、見つけられませんでした。
ちなみにこの橋の地点は、四谷大木戸(玉川上水の終点)から25キロだそうです。


1987年(昭和62年)に竣工されました。

小平市平櫛田中彫刻美術館は、この橋の近くにありました。


次は次は「商大橋」。


名前の由来は、一橋大学小平キャンパスが上水の近くにあるからです。一橋大学の前身は「東京商大」と呼ばれていたので、それが橋名の由来です。

平成2年竣工です。

商大橋から少し歩くと、小川水衛所の跡がありました。ぱっと見ると、子供のためのアスレチック施設のようでした。


ここはかつては「水番所」と呼ばれていましたが、明治維新後に東京都水道部が管理することになり、「水衛所」と名前を替えました。玉川上水の点検や清掃などを行っていました。

その後、淀橋浄水場が廃止されたことにより、小川水衛所も1980年(昭和55年)に廃止されたそうです。

それでも上流から流れてくるペットボトルなどのゴミを、左側の斜面でせき止めていました。

そこから数分、上流に歩いたところに架かるのは「小松橋」です。


「魚釣り禁止」の大きな札が架かっていて、橋名がよく見えませんでした。

その次は「鎌倉橋」

鎌倉と結ぶ鎌倉街道に架かっていました。


このあたりに、「新堀用水 鎌倉橋エリア」と描かれた大きな石がありました。
地域によって、何か違いがあるのでしょうか。


この地図は南北が逆になっていますね。せっかく地図を設置したのに、残念です。

この近くにあったのが「玉川上水を歩く 17」で書いた「玉川上水立坑」です。ちょうどJR武蔵野線がこの下を走っているところです。


物置くらいの大きさでしたが、一瞬、トイレがあるのかと思ってしまいました。

更に上流に歩いていくと、「久右衛門橋」がありました。ここは府中街道が通っている場所になります。


元々の橋、は江戸の享保年間に八代将軍吉宗が新田開発を奨励した頃、このあたりでも新田開発が行われ、それに伴い架けられたそうです。

橋の名前の由来は、久右衛門さんという名主が住んでいたからです。この橋は古い橋で、1932年(昭和7年)竣工なので、戦前の橋になりますね。

このようなマークもついていました。「玉川上水橋梁群整備 東京都 平成3年」とありました。

近くには津田塾女子大学がありました。

津田塾は1900年の創立ですが、その頃はかなり静かなところだったことでしょう。

この先は小平市立中央公園になりました。緑豊かな公園でした。


噴水の周りでは、近くに住む老人のグループがラジオ体操をしていました。健康的ですね。


とても広い公園で体育館なども揃っていたようです。

その次は「東鷹の橋」です。


そこから少し上流に架かるのは「西武国分寺線玉川上水橋梁」です。

明治27年(1894年)に西武鉄道の前身である川越鉄道が開業され、鷹の台駅と恋ヶ窪駅の間に位置しています。
橋の長さは短いのですが、ここを毎日、電車が通過していると思うと、大事な橋なのですね。


線路の上から写してみました。
「玉川上水橋梁」という札が立っていました。


橋と電車を写すCさん。
うまく写せたかな。

そのちょっと先には「鷹の橋」がありました。


今回の終点の橋です。
この橋は昭和34年に作られました。その後、昭和40年にコンクリートの橋となり、平成16年(2004年)に現在の橋となりました。


そして前にも書いたように、鷹の台駅に着いた途端に大雨となり、電車で国分寺駅まで戻りました。

そして駅ビルでランチをいただき、おしゃべりを楽しんだ後で、3人それぞれ家路についたのでした。

同行していただいたCさん、Uさん、ありがとうございました。

長いブログとなりました。

この後もまだ続く予定ですが、完歩はいつのことになるでしょう。


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「一日一句」

紫陽花の ガクを眺めて 橋巡り

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