瀬戸内寂聴の「秘花」は、観世流の世阿弥の「生」と「性」を描いた小説、といえばいいかしら。
この小説を読んだのは2回目です。
最初に読んだのは数年前だったと思いますが、その時は能のことはまるで知らずに、単に世阿弥の一生の筋を追っただけでした。
最近、少しは能や謡に興味を持ってきたので、もう一度読み直してみました。
一つの感想ですが、たとえば能を鑑賞する時、「これは世阿弥の作である」と解説されることがありますが、この小説で世阿弥の一生を知ってみると、その能が彼がいくつのときに作られたかによって、まるで違った印象を受けると思いました。
というのは彼の生涯はあまりに波乱万丈で、男時(上がり調子の時)と女時(下り坂の時)が激しいからです。
幼少の頃より父・観阿弥から能の手ほどきを受けていた世阿弥は、時の権力者である三代将軍義満の庇護のもと、どんどん地位も上がっていきました。
ところが老年になり、6代将軍義教の時代になると、理由もなく遠流の罪となり、佐渡島に流されます。
そして「承久の乱」でやはり佐渡島に送られてそこで亡くなった順徳院に自分の姿を重ねつつ、佐渡で一生を終えます。
そして性の面でも、世阿弥はまずは義満に可愛がられ、また40歳以上も年上の二条良基からも性の手ほどきを受け、そして義満の愛人だった椿を妻として譲り受けます。
その椿とは長い間、子供が生まれなかったため、実弟の子供である甥を養子に迎えますが、するとよくあるように実子が二人も生まれてしまい、そのことで後継ぎ問題がこじれてしまいます。
さらには息子を亡くすという逆縁の目に合い、そして末っ子は出家してしまいまます。
家族の縁は薄かったのでしょうか。
そんな中、島流しにあった世阿弥は、能で鍛えていたため、70歳を過ぎても体力は衰えず、日常の世話をしていた島の女性と性的にも結ばれます。
そして、その彼女が世阿弥の最期を看取りました。
そういう激しい人生を送った人なので、単にある能が「世阿弥作」と言われても、それが彼の人生のどんな時期に作られたものかによって、まるで見る目が変わってくると思うのです。
またこの小説は、「老い」に対しても真正面から向き合っていると思います。
私はまだ世阿弥のように70代を迎えていませんし、寂聴さんがこの小説を書かれた80代にもなっていません。
それで本当の老いについては想像でしかないのですが、だんだんと目が見えなくなったり、耳が遠くなったりするというのは、どんなに厳しく寂しいことでしょうか。
それでも受け入れていくより、仕方がありません。
世阿弥が、死に際に、島の女に対して、
「新しい能ができた。その題名は【秘花】だ」
と言う場面は、あまりに作り事っぽい感じがしましたが、それでも「秘すれば花」という有名な風姿花伝の言葉と繋がっている、という意味なのでしょうか。
この小説は、読む人によって好き嫌いがあるとは思いますが、寂聴さんの力作であると思います。
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