今回の目的は3つ。
1.井伊直弼が眠る豪徳寺でお墓参り。
2.豪徳寺にいる招き猫に会うこと。
3.豪徳寺駅近くにある焼き芋専門店へ行くこと。
世田谷マダムのおかげで、この3つの願いはすべてクリアできました。
実は豪徳寺は、だいぶ前から行きたいと思っていたのですが、予定がなかなかつきませんでした。
そこに強力な助っ人が登場。
世田谷にはもう25年くらい住んでいるという着物友だちのKさんが、案内してくれるというのです。
そして「松陰神社も近いからそこも行きましょう」ということになりました。
地元の方の案内があるのは、嬉しいですよね。
さて、こちらの玉電で「宮の坂」駅へ。
2両しかない小さな電車です。
駅にはこんな掲示板がありました。
そしてKさんと一緒に豪徳寺まで歩きました。
立派な門が立っていました。
梅の花がちらほら咲いていました。
豪徳寺と井伊家との繋がりですが、井伊直政が関ケ原の合戦で勝利に貢献したため、直政は近江の国などに18万石を与えられ、初代彦根藩主となりました。
二代直孝も大阪の陣で功績をあげ、徳川幕府では重要な地位を占めて、その後、幕末まで幕府政治に関わりました。
寛永10年ごろ、世田谷が井伊家の所領となり、領内にあった弘徳院が菩提寺となりました。
その後、直孝の法号をとって、豪徳寺と寺の名前を改めたそうです。
立派な三重塔が立っていました。
こういうのは、何と呼ぶのでしょう。
まだ新しいものでした。
お寺には外国人の参拝者などもちらほらいましたが、みなさん静かに歩いていました。
井伊家の墓所は、お寺の少し奥まったところにありました。
江戸で亡くなった藩主や奥方さま、幼くして亡くなったこどもたちが、ここに葬られています。
こちらが井伊直弼のお墓です。
ただし、去年、彦根の天寧寺で見てきた供養塔▼のほうが立派な感じがしました。
何回もブログに書いていますが、私は諸田玲子さんの「奸婦にあらず」を読んでから、井伊直弼や村山たかの生涯に興味を持ち、これまで多賀大社や彦根城や天寧寺に行ってきました。
今回、彼のお墓にも行くことができて、満足しました。
また、案内していただいたKさんは、時代小説もよく読んでいらっしゃり、幕末の人々のことなど詳しいので、話が合いました。
ただしヒロインのたかのお墓は、京都の金福寺というところにあるそうなので、そこもいつかは行ってみたいと思っています。
(この項、続きます)
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