小説を読む楽しみは、その物語に登場する人物にどれだけ感情移入できるか、だろうと思います。時代や場所は違っても、その人物と一緒に笑ったり怒ったり、誰かを好きになったり、どこかへ出かけた気分になれるかもしれません。
澤田ふじ子さんの「虹の橋」は、江戸時代、京都・建仁寺脇の貧しい長屋に暮らす少年少女が主人公のお話です。
以前、同じ作者の「深重の橋」という室町時代の物語を読んだ時、あまりに厳しい当時の生活に心が苦しくなったことがありましたが、今回の「虹の橋」もやはり心が締め付けられるような悲しさが漂っていました。
それでも読み進めていったのは、お話の情景が思い浮かんでくる文章が続いたからです。
貧しい少年は宮大工の修業に耐えて成長し、悲しい過去を持つ少女は錦市場の魚屋で働くことになりました。他の少年少女たちも、貧しいながらも成長していきました。
「虹の橋」を読んでいると、物語に出てくる女の子たちの髪型や着物、話しぶりなどが手に取るように伝わってきて、目の前にその女の子たちが佇んでいる様子も浮かんできました。他にも職人の修行をしている男の子たちや、長屋のおかみさんたちなど、それぞれの人の様子がよく伝わってくる物語でした。ほんとうにうまいな、と思う小説でした。
最後はちょっとありえないような結末になるのですが、それでも話の運びに無理がなく、主人公たちと一緒に悲しむことができました。
それに対して、「梨園の娘」という小説は、最初の出だしは面白いものでした。今源氏と言われるほどハンサムでかっこいい歌舞伎俳優に、男女の双子が生まれます。ところが跡継ぎとなるはずの男の子には歌舞伎にはまるで素質がなく、反対に女の子は芸達者で舞踊も優れた素質がありました。ところが《女は歌舞伎界には入れない》ということで、周囲の大人たちがこの女の子をいかに歌舞伎世界から離そうかと、策略するお話です。
ところがそのやり方がまるで絵空事であり、また女の子の顔も浮かんでこないし、華やかな世界の人がたくさん登場するのに、誰が誰だかまるで区別がつかない。年齢も性格も伝わってこない。ただ物語があれよあれよと言う間に展開するだけなのです。
これは漫画やアニメなら良いかもしれません。ところが文字だけの小説仕立てには無理があったと思うのです。
ストーリーだけは最後まで追うことはできましたが、登場人物には誰ひとりとして共感できる人はいませんでした。
私は映像や漫画の世界にはあまり興味がありません。それよりも文字だけの世界から、勝手に想像をふくらませることができる小説の世界が好みです。
ということで、これからも澤田さんの小説をたくさん読んでいきたいと思っています。
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「一日一句」
神無月 少女の想い 共にあり
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