2018年10月28日日曜日

「江戸・東京を歩く」3

都立両国高校公開講座のレポートの続きです。
かなりあちこち歩いたので、頭が混乱していますが、少しずつ分けながら綴っていきます。

1日目の概要(午前)はこちら▼
1日目の散策(午後のみ)はこちら▼

さて2日目の集合場所は、両国高校ではなくて、上野でした。
先生たちから、「2日目はハードですよ」と言われていたので、ちょっと緊張して出かけました。

まずは、上野の「黒門」というところに集まりました。
ここはかつて上野の戦いのとき、西郷どんたちが集まって、幕府軍を襲撃したところです。


現在はこんなふうになっています。
のどかですね。


その後は、階段を上って、西郷どんの銅像を見物。
テレビの大河ドラマで、奥さんがこの像を見て、「似ていない」と言った像です。


こちらは彰義隊のお墓。


彰義隊の人たちの遺体は上野山内に放置されたそうですが、、住職たちの手によって当地で茶毘に付されたそうです。
大きな墓石は、明治14年(1881)12月に、元彰義隊らによって造立。
彰義隊は明治政府にとっては賊軍であるため、墓に文字はありませんが、旧幕臣山岡鉄舟の筆になる「戦死之墓」の字が刻まれています。

すぐ近くの清水観音堂▼にも行きました。


この辺りは、何回も通ったことのあるところですが、実は中に入ったのは初めて。
京都にある清水寺のミニ版といった感じで、清水の舞台も作られています。
下に見える不忍池は琵琶湖のつもりと見立てています。
「月の松」です。
松の枝がかっこいいですね。


ここから降りて、振り返ってみるとこんな感じ。


こちらは広重の清水堂。
清水堂と松、不忍池がうまく描かれています。


その後は、弁天堂▼へ。
ここは琵琶湖に浮かぶ竹生島のつもりでしょう。
江戸初期の寛永年間に、天台宗東叡山寛永寺の開山、天海大僧正(1536~1643)によって建立されました。
現在の建物は、60年前に再建されたものだそうです。


上野公園までのウォーキングは、まだまだ序盤戦でした。

このあたりは、土地の起伏がないので、楽勝でした。
しかしその後は、大変な坂道や階段が続くのでした。

(この項、続きます)


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