今年の夏に、日比谷公園の中にある市政会館まで、長久保赤水という人の展示会に行った▼ことがあります。
長久保赤水という人は、約300年前の1717年に生まれ、江戸時代の儒学者であり、地理学の学者でもあり、なんと伊能忠敬よりも前に、日本地図や中国の地図を作製した人なのです。
生まれは茨城県の高萩というところで、農家の息子でした。
ところが小さい時からとても頭がよく、努力の結果、地理学・天文学・農政学などの分野で研究成果を残しました。
水戸藩のお殿様にも学問を教える立場にもなり、そして彼が作成した地図は、シーボルトも驚き、そして幕末の人たちにも大いに利用されたのでした。
その赤水にちなんで、「赤水ウォーク」というのがあるということを知りました。
日比谷公園から、彼の江戸の住まいだった水戸藩の上屋敷などの道を歩くというのです。
この日は台風の前触れで雨模様でしたが、私は好奇心で日比谷公園まで行ってみたのでした。
このウォークは高萩では毎年行われているようですが、今年は展示会もあったので、初めて都心を歩くということでした。
ということで、集まったのは、ほとんどが茨城県の関係者でした。
スタッフの方を合わせて、参加者は120人くらいいたと思います。
みなさんお揃いのウェアを着たり、帽子をかぶったり、バッジをつけたり、完全にウォーキングモードでした。
そんなことは知らず、私はいつもの着物姿で参加したものですから、だいぶ奇妙な目で見られたことと思います。
ウォークの集合は日比谷公園のかもめ広場。
私は集合時間の9時半には到着していましたが、ところがなかなか始まらない。
参加名簿にチェックして、参加費300円を払い、地図をもらうだけで、延々と時間が経過しました。
受付に並ぶ参加者たち。
ウォークの道順を書いた地図もいただきました。
そしてようやく始まったと思ったら、この団体の理事とか、来賓とか、お偉い人の挨拶が何人も続き、ようやく終わったと思ったら、今度はウォーキング前の準備体操をすることになりました。
体操の先生に合わせて、雨の中で、こんな感じでストレッチをしました。
脚を伸ばしているところです。
皆さん、リュックもかぶさるような大きなカッパ姿を着ていました。
この頃になると、雨がかなり降ってきて、私は傘を差しながら、身体を動かしました。
隣のおじ様からは「着物だから、無理をしなくていいんだよ」と優しい言葉をいただきましたが、私は着物を着ていても体操くらいはOKです。
そして3班に分かれて歩き出しましたが、最初は市政会館で赤水の地図の話を聞くということでした。
ここは、夏に見学したところです。
彼が作成した地図には、今、韓国との間で問題になっている竹島が描かれている、というので、政府関係者はその地図を利用して、竹島は日本の領土だと主張しています。
この会館ではみんなトイレに行ったりしてのんびりしていて、いったいいつになったら、本当のウォークになるか分からないほど、ゆったりモードでした。
ようやく出発。
皇居の方へ進みました。
参加者はほとんどが茨城県からの人たちでした。
それで大相撲の稀勢の里の話とか、子どもの頃、大洗に泳ぎに行ったことなどを話しました。
着物で歩いていると、おじ様たちからは
「大丈夫ですか」とか「エライですね」などと、親しみを込めて話しかけられましたが、それに反して、おば様たちにはほとんど無視されました。
着物で歩くなんて、バカバカしいと思われたのかしらね。
平均年齢75歳くらいの団体でしたが、さすがにみなさん、お達者でした。
足には自信があるのでしょうね。
皇居周辺ではジョギングをしている人が多くいました。
(歩きながらの写真なので、ちゃんと写せませんでした)
そして、皇居の東御苑門から入りましたが、セキュリティチェックがあるので、ここでもずいぶんと時間がかかりました。
お江戸城の中をどんどん歩いて、休憩所でランチタイム。
サンドイッチをほおばりました。
ここでは、休憩中に、FM茨城の人にインタビューを受けました。
東京の人間が、着物姿で赤水ウォークに参加したのは、やはり驚くべきことだったようです。
そしてたっぷり休憩しているうちに、雨はジャンジャンと本降りになりました。
もうこれ以上、のんびりとしていられない気分になって、私は平川門のところで失礼して、東西線の竹橋駅で皆様と別れることにしました。
あまりにこちらの団体とテンポが合わずに、その意味で疲れてしまいました。
他の方は雨の中、後楽園の方を経過して、東大農学部前まで行ったはずです。
みなさま、どうもご苦労様でした。
私は、いつか、お天気の良い日に、一人でこの道を歩いてみたいと思います。
教訓:同じ趣味の人たち(たとえば着物好きとか)となら、長距離ウォークも楽しいのですが、そうでない場合は、雨の中を黙々と歩くのは、それほど心弾むものではありませんね。
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この日の装い。
雨にぬれても大丈夫なように、モノトーンのセオアルファーの着物。
帯は千円の無地の帯に、トルコレースという幅広のレースを括り付けたもの。
これにカレンブロッソの草履でスタスタと歩いたのでした。
江戸時代のように、手甲脚絆にすれば良かったかな?
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