2008年9月15日月曜日

東大界隈 その1


今からウン十年前、私が初めてお仕事をしたのが東大。

広い敷地の一番はじっこにある地震研究所というところに通っていたの。

ところが当時は地震研究所は闘争のさなかで、教授たちは誰も構内に入れず、研究所で働いていたのは平職員のみという異常体制だったのよ。

かの全共闘書記長の山本義隆さんがいつも地震研究所の前にいたのをよく覚えているわ。

さて、地下鉄の本郷三丁目に降り立った時は、そんな大昔の郷愁は見事に吹っ飛んでしまったの。
メトロの駅のあまりの変わりように、声も出ないほどびっくりしたわ。
駅の構内にはナチュラルローソンがあって、おしゃれな雰囲気。

そして本郷三丁目の交差点あたりもすっかり様変わりしていました。


それでもね、東大の赤門はまるで変わっていませんでした。

ここって昔は加賀藩の前田家のもので、徳川将軍家斉の娘・溶姫(やすひめ)をお嫁さんにもらうために、わざわざ朱塗りの門を作ったんですって。


こちらの正面は言わずと知れた安田講堂。
あの闘争のシーンがいまだに目についています。
そのおかげで翌年は東大入試がなくなってしまったんですよね。

私がいつもお仕事をしている大学とは比べ物にならないほど、立派です。


安田講堂はこんなに古めかしくなってしまっていました。
前庭は雑草がぼうぼうに生えていたわ。


これはちょっと素敵な藤棚。暑い時にはよい日陰となりそう。
西洋建築とマッチしていました。

東大の構内は古色蒼然とした校舎と新しい校舎が混じっていて、日本建築の歴史を学ぶ良い教材のようでした。


これは医学部のところにあったドイツ人博士の銅像。
明治の時代にドイツ医学を取り入れて、東大医学部ができたそうです。

<つづく>

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