大文豪として知られる夏目漱石の妻、鏡子から見た漱石の実態とは?
「漱石の妻」は、慶應3年(1867年)に生まれ、大正5年(1916年)に亡くなった夏目金之助と、彼の妻・鏡子の人生と生活を描いた小説です。
彼女は「ソクラテスの妻」同様、悪妻の見本として呼ばれていましたが、ほんとうにそうだったのでしょうか?
金之助(漱石)は、神経症、胃潰瘍、痔疾それに加え、糖尿病を患っていましたが、そんな夫なんて、それだけでも大変な存在です。それに加えて妻子に暴力を振るい、いまなら「家庭内暴力」として捕まりそうなくらいひどい夫だったようです。
おまけに金之助は、弟子たちの前では善良な知識人として振る舞います。その取り巻連中は、大勢で家にやって来ては、妻の悪口を一緒になって叫びます。そんな中で、妻はどうしたらよいのでしょう。
そんな嫌な夫なのに、それでも別れなかったのはなぜだったのでしょうか?
鏡子さんはいわゆる「上級国民」である父の元に生まれ育ち、お見合いで漱石と結婚します。
漱石もその父親の肩書を見込んで結婚したようですが、自分の意にそわないとなると、言葉や力で彼女を苛め抜きます。
彼女のほうは、大学教授の妻になるつもりでしたが、夫は新聞社の記者(作家)になってしまう。
そんな夫でも、支えていきたいのに、夫の周囲には、漱石の子分のような男どもがたむろして、彼女の入るスキはありませんでした。
金之助は交流関係が多くて、たとえば正岡子規や高浜虚子、鈴木三重吉などの著名人もたくさん登場するところは、面白く読むことができました。
しかしその夫が病気で倒れ、何度も大量の血を吐いて、生死をさまよってしまいます。
夫が死の淵からよみがえった時、「妻は?」と発した言葉だけを心のよりどころにして、夫について行く。
鏡子は、それほど嫌ってはいても、夫には抱かれ、7人の子供を産み育てました。
金之助のあまりの横暴ぶりに、読んでいて辛くなってしまいましたが、それでも金之助が48歳で亡くなった後は、心穏やかに老後を過ごしたのでしょうか。
物語の中には、漱石の作品が取り上げられていますが、あんな精神状態でよくも書けたものだと、驚きました。
凄まじい夫婦の生活の実態でした。明治の男は、みんなあんなふうだったとは思いたくないですね。
お嬢様育ちの鏡子が、取扱注意の夫のもとで、だんだんと大人に成長していく過程が、悲しくなってしまいました。
私には、鏡子のような生き方は、とうてい無理です。
鳥越さんの小説は、「お龍」「徳子」そしてこの「鏡子」と3冊目ですが、どの女性もすごい生き方をしたのだ、と思わざるをえません。
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「一日一句」
文豪の実態悲し二月かな
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