飽きもせずに、鳥越碧さんの小説を読み続けています。
どれも女性が主人公の長編小説です。
「お龍」、「建礼門院 徳子」、「漱石の妻」ときて、
そして今回は「一葉」です。そう、あの樋口一葉の短い人生を描いた小説です。
鳥越さんの作品は、どれも読んでいて胸が苦しくなるような内容ばかりでしたが、一葉は特に悲しさが身に沁みました。
貧困の中で一家を支えながら、もがきつつも小説を書き、そして体を壊して、若くして亡くなってしまった一葉。
ちなみに「一葉」というのは筆名で、本名は夏子です。
彼女は明治5年(1872年)に生まれ、明治29年(1896年)に亡くなります。鳥越作品の小説の他の3人は、比較的長生きをしたので、苦しい人生の後には穏やかな人生もあったのだろうかと、少しはホッとしましたが、一葉は24才という若さで亡くなってしまうのです。
私は一葉自身の小説はそれほどきちんと読んではいませんが、この小説の中では、「大つもごり」や「たけくらべ」「にごりえ」などの作品が、どのような生活状況の中で書かれていたかが良く分かります。
それは借金まみれの生活でした。彼女は知人、友人、親戚などありとあらゆる人たちから借金をしていましたが、現代でしたら、サラ金地獄のような状態ではなかったのかと思います。
一葉の文学との関わりは初めは、和歌の世界でした。短い人生の間で、2000ほどの歌を詠んだと言われています。
それが小説の世界に傾いていき、森鴎外や幸田露伴のような人たちからも絶賛されるような内容のものを書くまでになります。
一葉の生き方の中で、よく理解できなかったのは、「士族としての立場」「戸主として生きる」ということです。
明治初期にはまだ身分制度が残っていたのでしょうけれど、士族の誇りを持って生きるのがそれほど重要だったというのは、なかなか理解しづらいことでした。
一葉は、ある時は小間物屋のようなことをして商売人となりましたが、それがすごく嫌だったというのは、商売人を一段下に見ていたからなのでしょうね。それは彼女の父親や母親から植えつけれれた思想からだったと思います。
そんな彼女でしたが、母や妹や文学仲間に支えられながら、なんとか生きていました。
それが最終的には肺結核で亡くなってしまいます。
無駄に長生きするよりも、短命の方が良かったのでしょうか。
私たちは、一葉の作品や、5000円札の肖像になったことを知っているので、現代ではきちんと評価していますが、本人としたらやはりもっと長生きして、もっと多くの作品を書きたかったのだろうと思います。
きっと、無念のうちに亡くなっていったのでしょうね。
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「一日一句」
一葉の 思ひ重なり 梅匂ふ
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