今朝、出勤途中に、懐かしい人にお会いしたの。
その方とは以前、同じ職場で働いていて、3年位ご一緒していたのです。
年は私よりはお若いのだけれど、同じような年頃の子どもがいたし、お互い老人の世話をしていたので、仕事以外の話もよくしていた方でした。
多分、5年ぶりくらいの再会だったのだけど、懐かしくなって立ち話をしました。
「実はね、今年の4月に母を亡くしたのよ」としんみりとした調子で話し出しました。
お子さんたちもそれぞれ独立してしまったし、ご主人も単身赴任で、今は一人住まいだとか。
それでなかなか立ち直れず、何もする気が起こらないと話していました。
彼女は手作り料理がとても得意で、いつも職場にお手製のピザやパンやケーキを持ってきては、みんなに配っていました。
そんな料理好きの人だったのに、今では「誰も食べてくれる人がいない」というので、料理を全然しなくなってしまったそうです。
そういえばね、少し前に、やはり仕事関係の先輩にお会いした時も、
「実は母が亡くなったのよ」というお話を聞いたばかりでした。
そしてそのお母様が残したものを片付ける毎日だと話していました。
私たちの年代って、子どもはなんとか大きくなり、独り立ちしてくれたけど、今度は親の世話の問題を抱えているんです。
親を亡くすというのはその究極になるのですけれど、誰でもみんな、その後遺症を引きずるものなのでしょうね。
私は懐かしい人の顔を見ながら、いつか私にもその時期が来るのだろう、と、ふと思ったのでした。
3 件のコメント:
昨日の帰りに母のところに寄りました。
午前3時におやつを食べに来ませんかと新米の職員の人が母を起したので怒ってやったというのです・・・
何だか聞いていて悲しくなりました。
それはおばぁちゃんのほうが多分勘違いしているよ!といいました。
同じ形のものを探すクイズも毎日しているようですが難しくなると時間がかかるし間違いも多い。
でも元気でいてくれるからまだ幸せだと思います。親の問題は多くの同じ年齢の人たちは
抱えていますよね。
そんな年齢ですね~
としちゃん、さとさん
私も主人の両親を看取って、其の後自分の母を引き取って見送りました。
私の母は脳梗塞で体が半身不随、其の上
認知症に。しっかりした母だっただけに、受容するのに時間がかかりました。
もう限界にきて、退職願を書き始めた時、呆気なく亡くなりました。もうこれ以上娘に迷惑を掛けたくなかったのでしょう。
亡くなった時は正直、ホッとしたのも事実でした。
其の後、何をする元気も出なくて、身体は
楽になったのに、何故だかふと虚しくて、寂して、涙が出て仕方が無い時期がありました。
夫の両親と母を相次いで送った後、初めて気づいたのですが、私はお世話してきたつもりだったけど、実は3人に守られ、支えられていたんだと。
そんな寂しい虚しい気持から立ち直るまでに
数年間掛かりました。
としちゃんの元同僚の方も、としちゃんに、お話を聞いていただけただけでも、心が少し軽くなられたのではないかしら。
さとさんも、お母様と良い想い出を今、たくさん作ってくださいね。
さとさん、蘭さん、なんて書いてよいか、胸が詰まって・・・・。
こういうことって、その立場になってみないと分からないんですよね。
蘭さんが書いた「受容に時間がかかった」ということ、そなんですよね、受け入れたくないのです。
うちの母にしても、昔は多趣味できれい好きで料理も上手だったのに、それがほとんど壊れていく。そばで見ていると、本当に情けなくて、認めたくないんです。
いろいろ伝えたいこともあるのですけれど、ブログではここまでにしておきますね。
ごめんね。
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