すごい!
林芙美子もすごいけど、これを書いた桐野夏生さんもすごい!
「ナニカアル」は戦争という非常事態において、文学をすること、恋愛をすること、生きていくことの困難さを赤裸々に描いた小説です。
かなり分厚い小説ですが、2回読み切りました。
本当にすごい内容です。
小説と書きましたが、どこまでが林芙美子の手記で、どこからが桐野さんの創作なのか分からないほど、リアルで真に迫っていました。
桐野さんが芙美子に乗り移ったのではないか、と思うほどでした。
私は以前、新宿の住宅街にある林芙美子記念館(かつて芙美子が家族と暮らしていた家)を見学したことがありました。その時はあまりの豪邸ぶりに、彼女の小説となんだかそぐわない気がしました。
その時のブログ▼
またその後、尾道に旅行した時、彼女が子供のころに過ごしたという家も見ましたが、あまりに小さくて暗くてぼろぼろで、こういうところを転々としていた人が、有名な小説家になったことが信じられませんでした。
その時のブログ▼
芙美子の小説は何冊か読みましたが、私は彼女は散文や詩の才能のすごい人だと思っていました。でもストーリーテラーとしては良く分からず、どうしてこの人がそんなに有名な大衆小説家なのだろうと、ちょっと疑問に思っていました。
ところがこの「ナニカアル」を読むと、彼女の大胆な行動や、愛する人と一緒にいたいという気持ちがひしひしと伝わってきて、そういうもの全部が芙美子の魅力であり、当時の人たちの共感を得たのではないだろうか、と思うようになりました。
この小説の中における芙美子の恋愛に関していえば、彼女も恋愛相手もそれぞれに家庭がある身でしたが、二人とも激しい感情の持ち主でした。
一方は著名な女流作家、一方は年下の毎日新聞の記者でした。
どんな手紙でも検閲されてしまう非常時において、お互いの気持ちを伝えるときは、「原稿ができあがりました」「原稿をお届けにまいります」「原稿を受け取りました」などと、「原稿」という用語を使用していました。
この部分を読んでいると、タレントのベッキーとなんたらという男性歌手の間で、「卒論」という隠語でラインをしていたということが話題になったということを思い出してしまいました。
ベッキーたちは、その後、別れたようですが、彼女たちの間には芙美子たちのような激しい愛情があったのか疑問です。
芙美子はその愛する男と戦時下の南方で落ち合い、そこでできてしまった二人の間の子供を、都内の病院で一人で産み落とし、夫にはその赤ちゃんを「貰い子」であると言って引き取ってきて、養子として育てます。
簡単に中絶してしまうような女性には信じられない行動でしょう。
それは母性によるものなのか、男への復讐なのか分かりませんが、その子を育て上げたことはあっぱれだと思います。
とにかくすごい小説です。
それは芙美子の生きた時代が尋常ではなかったことから由来することもありました。
太平洋戦争中には多くの文学者や画家までが軍に駆り出され、従軍記者としていやおうなく手記や絵画を書かかされていました。紙や絵の具なども簡単には入手できない時代でした。
作家の真の気持ちは何も伝わらず、仕方なく書いていたのは、ほんとうに嫌な時代だったことでしょう。
この小説は一種の反戦小説にもなっていると気づかされます。
戦争になれば、軍隊の思うままにになってしまい、原稿用紙も不足するので小説かなんて書いていられないし、またちょっとでも国の悪口を言えば憲兵に引っ張られて拷問にあってしまう。
そういう時代だったのです。
あの長い物語を、簡単にまとめることはできませんが、戦争の実態を知らない人(私もそうですが)にも、是非読んでいただきたいと思います。
戦争は戦地で戦う人だけでなく、普通に暮らしている人たち、作家と言われる人たちにも、このような影響が及んでいたことがよく分かりました。
それにしても桐野さん、すごすぎます!
0 件のコメント:
コメントを投稿