今月の新橋演舞場は、喜多村緑郎襲名披露の特別講演でした。
私は喜多村緑郎というお名前は知りませんでしたが、昭和36年にお亡くなりになった方だそうで、それでは知らないのも当たり前かもしれませんが、人間国宝にもなった素晴らしい役者さんだそうです。
新派と歌舞伎の世界では、交流があるようで、この初代の方も最初は歌舞伎役者だったのが、新派に転向されたのだとか。
今回二代目を名乗ることになった緑郎さんも、これまでは市川月助として猿翁一門として活躍されていました。
二代目さんはすらりと長身で小顔。
立ち姿がとてもきれいな方です。
口上では、緑郎さんを中心に左右に水谷八重子、波野久里子を従えて、松也くんなどずらりと並んでのご挨拶でした。
またこの時、松也君の妹の春本由香ちゃんが登場。
初々しいお嬢様役でぴったりでした。
やはり新派もいつまでも八重子・久里子の二枚看板だけに頼るわけにもいかないでしょう。そういう意味でも若い女優さんが参加されるのは、素敵なことだろうと思います。
さてお芝居は「婦系図」。
言わずと知れた泉鏡花の代表作ですが、私は詳しい内容は知りませんでした。
芸者のお蔦さんと主税さんの恋愛もので、「月は晴れても心は闇だ」のセリフくらいしか知りませんでした。
系図というのは、家系というか、血統というかそういう意味合いで、お話の中でも結婚相手の素性を知るために興信所があれこれ調べるというお話が出てきました。
明治初期のお話ですが、当時はほとんどの人がまだ着物を着る生活でしたが、女優さんが羽織を脱ぐ所作などとてもきれいでしたね。
実はお芝居の肝心なところ(二人が分かれるシーン)は、うとうとと眠ってしまいました。
ちょっとテンポが遅いこともあったのですが、これでは話が分からないので、原作を読もうと図書館に行ってみました。
ところが昔の小説は置いていないので、仕方なく「泉鏡花 人と昨品」という冊子を借りてきました。
この本によると、主税とお蔦は、泉鏡花と夫人の実話が元になっているようで、恩師の尾崎紅葉が二人の仲を裂いたという説もあるようです。
鏡花のことは、ちょっとお勉強してみます。
そういえば、お芝居が終わった後、颯爽と座席を立って帰る方がいましたが、なんと中村獅童さんでした。全身黒づくめでかっこよかったな。
近くの駐車場に姿を消しましたが、やはり役者のオーラが漂っていましたね。
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この日の装い。
まだまだ暑い日が続いていたので、夏着物です。
着物は父の妹である叔母から、帯は母の姉である伯母からのいただき物です。
どちらもかなり透け透けですが、やはり暑い。
おばたちは、ふたりとも95歳で亡くなりました。
このままだとさすがに地味なので、帯揚げと帯締めを明るい水色にしてみました。
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