そう、あの沢田研二さんのコンサートです。
会場は、日本武道館。
メトロ九段下の駅からは、大勢の中年女性が、坂を上っていました。
さて、ジュリーといえば、かつて「ザ・タイガース」のボーカルとして大人気だった人です。
実は、私は、50年前、生のジュリーに会っていました。
その頃、高校生だった私たちは、どういう経緯だったか忘れましたが、夏休みにみんなで赤坂プリンスのプールに泳ぎに行ったのです。
するとその日は、ホテルのプールでちょうど「シャボン玉ホリデー」の収録をしていたのでした。
ザ・ピーナッツや、梓みちよが出演していて、タイガースもデビュー2曲目の「シーサイド・バウンド」を歌っていましたっけ。
そしてその後は、ジュリーはご存じのとおり、たくさんのヒット曲を出しましたよね。
私が好きだったのは「時の過ゆくままに」。
そして「TOKIO」も好きでした。
そのジュリーがいつのまにかテレビから姿を消してしまいましたが、ある日、信じられないほど太った彼の姿を見て、ショックを受けたのは私だけではなかったでしょう。
ファンというのはありがたいものですね。
アリーナ席では総立ちになって、手を振って一緒に歌っていましたよ。
こちらの写真は開演前なので、まだ空席がありましたが、ほどなく満席になりました。
私たちが座った席は、舞台の裏側で、ジュリーの背中側しか見えない席でしたが、時々、後ろも振り返ってくれたので、年老いたお顔も見えてしまいました。
なんだか見たくないような気分も半分ありました。
でも彼も70歳。古稀ですよ。
そんな男が、ピエロのような服を着て、舞台で飛んだり跳ねたりしているのです。
高校のクラスメイトを思い出してしまいました。
若くてかっこよかった男子たちも、いまや貫禄十分なおっさん、いやおじいさんかな。
それを思えば、ジュリーも老けて当然なのです。
彼は、若い頃のヒット曲は、最初の「カサブランカ・ダンディ」と最後の「ヤマトより愛をこめて」しか歌いませんでした。
後の曲は、まるで知らない曲ばかりでした。
そして社会派ソングというのでしょうか、福島の原発を歌った曲や、憲法9条の曲を歌っていました。
変われば変わるものですね。
でも半世紀前には、おかっぱ頭だった私も、いまや着物で三味線を弾いているなんて、誰が想像したことでしょう。
人間はみんな変わっていくのです。
ジュリーも変わって、当然ですね。
最後のあいさつに「あと10年は歌っていたい」と話していました。
私もそう願っています。
彼の声だけは変わっていなかったのが、ホッとしました。
4 件のコメント:
そうそう高校生の時に行ったのは高輪プリンスホテル。私も経緯を覚えていません。
H君か誰かが券をもらっていたのでしょうね。その時に青島幸雄とタイガースのピーのサインをもらい、妹がピーのファンだったのであげました。50年以上も前のこと・・
ジュリーは声は変わっていないのですごいよね。武道館が満席で良かったわ。
としちゃんもこういうコンサートは珍しいですね。
ジュリーのコンサートは、着物友だちからお声がけがあったので、行ってみました。
でも知っている曲は、2曲だけで、後はプロテストソングとかが多かったですね。
顔や姿はかなり変わってしまいましたが、声だけ聴いていると昔を思い出しましたね。
高校の時は、たしかHくん、Iくん、M子さんもいましたよね。
それと他のクラスの男子もいたような記憶があります。
たぶん、スクール水着を着て泳いでいたのでしょうね(笑)。
確かにその時、スクール水着でした(笑)。どうして私が誘われたのか
わかりませんが・・ 確かその5人だったかと。シャボン玉ホリディの収録か何か
していて面白かったですね。プールで泳いでいたらジュリーがけだるい目をして
こちらの方を見ていたような気がしました。
その時に谷啓にお子さんが誕生してアナウンスがありましたね。お父さん仕事中。
その谷啓ももうとっくになくなっていますね。
その時に写真を撮ってもらったのか手元に残っています。でもタイガースとかは撮らなかったのね。さすが男の子だ。布施明とかもいたような気がしますが。
カンカン、昔のこと、よく覚えていますね!
私は谷啓のことなど、全然記憶にないわ。
プールの更衣室で、梓みちよとかと一緒で、水着を着た身体がすごくきれいだったのを
覚えています。
当時はタレントさんがいても、一般人とあまり区別をしなかったのかもね。
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