さて、漱石山房記念館に入りました。
ちょっと記念撮影。ユキヤナギが見事に咲いていました。
入口にはこの絵がありましたが、この顔はお馴染みですね。よく見ると、腕に喪章を付けているようですね。どなたかのお葬式の時の写真なのでしょうか。
こちらの記念館は、1階はカフェになっていて、ガラス越しに外の景色を眺めながら、お茶を飲んだり、読書をしたりできるようになっています。
奥には、漱石の書斎が再現されていました。すごい数の蔵書に囲まれていました。ペルシャじゅうたんが敷かれて、火鉢も置いてありました。いかにも文豪の書斎ですね。
漱石は作家というよりも学者タイプの人だったような気がしました。学校の先生を長くしていて、追求心もあったのではないでしょうか。
たくさんの本がきちんと並べられていて、神経質そうな感じがしました。
この家には、多くの門下生や友人たちが集まりました。「木曜会」という会が開かれました。鏡子夫人にとっては、それは悩みの種だったようですが、漱石は多くの人に慕われていいたということは事実だったのでしょう。
こちらの人形、あまりにもリアルで、ちょいと引いてしまいました。今にも動きだしそうでした。
今回は、漱石の本の装丁をした津田青楓という画家の特別展が開催されていました。とてもモダンなデザインで、現代でも通用するような素敵な色とデザインでした。着物や帯の模様にしても良さそうなものばかりでした。
津田青楓は画家としてだけでなく、文章も書いていて、「ホトトギス」や「白樺」に小説を発表していたようです。
こちらはその本と、十弟子の図です。
家の外は庭が広がっていました。こちらは「猫塚」です。飼っていた猫のお墓でしょうね。
この漱石記念館には若い学生(中学生?)も来ていて、興味深そうに展示品を見つめていました。彼らも授業で漱石の作品を読んで、興味を持ったのかもしれませんね。
漱石の年譜を見ると、「吾輩は猫である」で世の中に出たのは38歳の時、「道草」を書き終えて、そして未完の「明暗」を描いたのは49歳です。そしてその年に胃潰瘍が悪化して亡くなっています。ほんの10年くらいの間に、後世に残る作品を書き続けたのですね。
漱石記念館を後にして、帰りは「夏目坂通り」とは別の「山房通り」を通って高田馬場まで戻ることにしました。
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「一日一句」
名作の世界へ誘う(いざなう)ゆきやなぎ
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