亡くなった母は、若い頃からお琴を習っていたことは、話には聞いていたし、家にお琴が置いてあり、私も「さくらさくら」くらいは見よう見まねで弾いたことがありました。
母を施設に入れた後の片付けで、天袋から三味線が見つかりました。そしてその三味線を修理して、私が三味線を習うようになったことは、以前にもブログに書きました。
ただし、母がその三味線を弾いたとは思えず、ずっと不思議に思っていたのです。
ところが、母が亡くなって、施設の部屋で持ち物を片付けていたら、桐の箱が見つかりました。
母は持ち物には拘らない人でしたので、桐の箱なんてなんだろう、と不思議に思って開けてみると、和紙に丁寧に包まれた、お琴の立派なお免状が出てきたのでした。
そして、国立劇場や、歌舞伎座の舞台での発表会の写真も出てきました。えー、びっくりです。
こちらはその一部です。
昭和50年、と書いてあるので、今から47年前、母が50歳の時ですね。まだモノクロ写真でした。こんな着物を着ていたなんて、私は見たことがありません。
こちらは平成5年なので、母は69歳。けっこうセンターで弾いていますね。
そして、なんとなんと、母が三味線を弾いている写真まで見つかったのです。
ちょっと白髪が見えるので、60歳くらいでしょうか?
この着物は、きっとさっさと捨てたのだと思います。見たことはありません。
あー、母の演奏姿は、知りませんでした。娘にはそんな話はしませんでした。
さて、下の写真がその母が弾いていた三味線ですが、私の長唄三味線の先生を通して、他の方に譲ることにしました。
私は伯母の遺品の三味線、先輩から譲って頂いた三味線と2つあるので。
でも昭和の時代に母が弾いていた三味線を、どなたかが弾いてくだされば、嬉しいですね。
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「一日一句」
袷着て 三味線弾く母 見たかった
11月とは思えないほどよく晴れて暖かったので、紬の無地着物を着てみました。
ちゃんと写す時間がなかったので、出かける前のブサイクですいません。
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