「日本の染織文化」も最終回となりました。
今回は「型染の歴史とその文化史的意見」というものでした。
先生の説明では、型染のイメージは木綿のイメージ(布団や座布団、暖簾など)が強いため、庶民のものであるという認識が強くあるそうです。
つまり【木綿イコール庶民】という発想があるからだろう、ということでしたが、庶民が木綿を着るようになったのは、実は江戸中期以降(17、18世紀以降)であり、それ以前の庶民は大麻を着ていました。室町時代には木綿は輸入品として珍重されていたほどだそうです。
また型染めというと量産できるもの、というイメージがありますが、これには木の型と紙の型があり、木型のほうが先にインドなどで発達したそうです。紙型は日本で生まれ、それがヨーロッパに渡り、ステンシルのもとになったという説もあるそうです。
日本の型紙はKATAGAMIとして海外にも広く伝わっていますね。
2012年に見た型紙の展覧会の様子はこちら「KATAGAMI STYLE」▼
型染めの歴史をたどってみると、奈良時代には、木型は紋織物の代替品として使われ、高級品だったそうです。つまりそのころは、【型染イコール貴族のもの】だったそうです。
その後、木型から紙型に変化したそうです。
最古の紙型は鎌倉時代に「よろい」に使われたそうです。
その後、武家の人たちに、上下などに型紙は多く使われるようになりました。
そして初めは武家の男性のものだったのが、18世紀ごろには、安く量産できるようになったため、町人の女性にも浸透していきました。
その後、明治時代には化学染料が発達したので、糊を置くという必要がなくなり、型紙業は廃業してヨーロッパに流れていったそうです。これは当時、浮世絵がヨーロッパに行ったことと同じ時代の流れだそうです。
型染めの中で、沖縄の紅型のお話も伺いました。
沖縄は本土とは地理的、気候的条件が異なるわけですが、沖縄に型染が伝わったころは、琉球王朝の高貴な人が着ていたものだったそうです。これは能装束などに使われる唐織りのコピーではないか、というお話でした。
ちょうどこの講義を聞いたのは、自分で紅型を習った後だったので、興味深かったですね。
8回の講義を通して、染織の難しさと、歴史認識の方法を学んだような気がします。
かなりお堅い講義でした。
それと2時間の間、一瞬の休憩もなく、先生の講義を聞くだけ、というのも少しつまらない感じでしたね。
いかにも座学という内容でしたので、できれば次回はもう少し手や足を使った講義に参加してみたいと思っています。
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この日の装い。
8回の講義の時は、すべて地味な紬で通しました。
ただし、あまり暗い色ばかりだとつまらないので、最後は白とグレイの横段の紬にしました。
帯はいただきものの、ざっくりとした赤と黒の帯です。
このときは私以外にもう一人着物を着ていらっしゃいましたが、グミの実だという絵が描かれた帯がとても素敵でした。
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