私の母は、近くのグループホームで生活しています。
優しいスタッフのみなさんと、おいしい食事のため、いたって平和に穏やかに暮らして、もう数年になります。
ホームのお隣の病院には、夏の花、サルスベリがきれいに咲いています。
母は新聞が大好きで、私がホームに訪れたときも新聞を広げていました。
一面には、「東京五輪まであと5年」という見出しが出ていました。
母は、現在91歳なのですが、いつも口癖のように「私は100まで生きるかもしれないね」と言っています。
それで私が、
「お母さん、100まで生きるのなら、次の東京オリンピックも見られるし、そのまた次のオリンピックも見られることになるわね」と話しました。
「ふーん、そうかい?」という返事でしたが、1924年生まれ(大正13年)なので、2024年のオリンピックには100歳になる計算です。
ただし、母は元気で長生きをしていますが、記憶はまるでありません。
「昔、東京でオリンピックがあったの、覚えている?」と聞いても、「忘れたよ」とのこと。
「お母さんがまだ40歳頃のことだったわよ」と伝えても、「みんな、忘れた」と言うばかり。
長生きするのがいいことなのか、どうなのか、私には分かりません。
楽しかった思い出も、嫌な経験もすべて忘れて、平穏に暮らしているように見えます。
私が小さかった時には、「2・26事件の時は大雪が降って、女学校から帰るのが大変だった」と話してくれましたが、そういうことも忘れてしまったでしょうね。
戦争で防空壕に入って、目の前に焼夷弾が落とされたことも覚えていないのでしょうか。
子供を二人育てたことも、うっすらとしか分かっていないようです。
娘としては、思い出が何も共有できないというのは、非常に残念なことです。
それでも、「今日は何月何日だか分かる?」と聞くと、新聞の日付を見て、返答する知恵はあるのです。
この日も、「今日は土用の丑の日」と正解を答えていました。
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