2019年12月11日水曜日

伊勢 2019年11月 11 松坂城の歴史と御城番屋敷(ごじょうばんやしき)

かつて松坂の町には、松坂城がありました。
ところが現在は、城跡しかありません。
あるのは、高い石垣だけです。


松坂城は、戦国時代末期から安土桃山時代にかけて活躍した武将・蒲生氏郷(がもううじさと)が、天正16年(1588年)に作ったお城です。

蒲生氏郷は、非常に優れた武将であり、豊臣秀吉も恐れていたと言われるほどだったそうです。
彼の妻は、信長の娘であり、そして彼自身はキリシタンでした。

氏郷は松坂城主として、楽市楽座の制度を取り入れたり、道路整備をしました。
商人の町として松坂の基礎を築きました。

現在、松阪市では、蒲生氏郷の功績をたたえ、「氏郷祭」という祭が毎年11月3日に行われています。

氏郷は、優れた政治を行いましたが、その後、東北(現在の会津若松)へ移封しました。
会津でも優れた業績を残し、会津にある美しい城「鶴ヶ城」は、氏郷の幼名「鶴千代」にちなんだものだそうです。

こちらは小高い丘の上から眺めた松阪の町です。
遠くには松阪の港も見えました。
戦国時代はどんな風景が見えたでしょうね。


蒲生氏郷がいなくなり、その後は松坂では短期間に城主が交代しました。

江戸時代には、和歌山の藩主がこの城を治め、ここは紀州藩の領地となりました。
ところが「一国一城」(江戸幕府が諸大名の軍事力を抑えるために出した政令で、諸大名に対して、居住地以外の城を破却する命令)によって、この松坂城はなくなりました。

かつては三層の天守と櫓がそびえていたそうですが、台風のため天守は倒壊したとも言われています。

その後、明治になり、ここは松阪公園となりました。

現在は、天守閣跡と石垣が残っているだけです。
松坂城の歴史でした。


どんなお城だったか、見てみたかったですね。


ところで、このお城の近くには、「御城番屋敷(ごじょうばんやしき)」という場所があります。
ここは、江戸時代の末期に、松坂城の警備のために、紀州藩士とその家族が住んだ武家屋敷です。
今でいうと公務員住宅のようなところでしょうか。

現在は国指定重要文化財となっています。


座敷には、当時の武士が着ていた裃が吊るされていました。
なんだか江戸時代にワープしたような雰囲気のところでした。


家の前には、石畳の道路が広がり、美しい生け垣がきれいに整備されて残っています。


とてもお天気の良い日でした。


ここはフォトジェニックなところとして、最近は人気スポットになっているそうです。
私もここは、一度来たかったところです。


後方にはお城の石垣も見えて、素敵なところでした。

(この項、もう少しだけ続きます)

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