2019年12月15日日曜日

伊勢 2019年11月 13 松阪の町

「伊勢 2019年11月」の旅日記も、ようやく最終回となりました。
今回のシリーズは、タイトルとは異なり、伊勢よりも松阪を中心に歩いたものですが、「松阪」よりも「伊勢」の方が分かりやすいと思い、タイトルは「伊勢」としました。

というように、現在では「松阪」と聞いても、すぐにピンとくる方は少ないのではないでしょうか。
「松阪牛」は知っていても、松阪がどこにあるのかは意外と知られていないのでは、ないでしょうか?


ここでもう一度おさらいをしてみますが、松阪市は三重県のほぼ中央あたり、伊勢湾に面したところにあり、自然の山や川に恵まれ、気候は温暖なところです。
現在は約16万人だそうです。

歴史的には、戦国時代末期に、近江国日野出身の武将・蒲生氏郷(1556~95)が開いた町です。
氏郷は、1588年、33歳の時に城を築き、町を作り、「松坂」と名付けました。
松坂の町は、武家の町、商人の町、職人の町、寺社の町として発展して、氏郷は楽市楽座の制度により、町を活性化させました。

氏郷が会津若松に移封した後は、松坂は紀州藩領となり、松坂城は天守が倒壊し、石垣だけが残りました。

松坂城の歴史については、重複するところもありますが、こちらのブログ▼をご覧ください。


この頃から、松坂の商人の江戸進出が始まります。
松坂は、大商人となった三井家の発祥の地であり、高利の江戸進出を頂点とし、その後多くの商人が江戸で活躍するようになります。


豪商たちの屋敷も、現在も残っています。


このような商人の活動は、茶道などの文化を生みました。
現在、町中に多くの和菓子屋が目についたのは、その影響だろうと思います。


かつての松坂は、伊勢参りの旅人も往来して、江戸時代にはきっと賑わいがあったところだと思います。

その後、明治になり、松坂は松阪(まつさか)となります。

松阪市には、現在、JRと近鉄の二つの路線が通っています。
どちらも似たような場所を走っていて、駅も微妙な位置に、二か所あります。

ところが、電車の車内はガラガラでした。
こちらは近鉄ですが、JRも同様だと推測されます。


一番栄えていると思われる駅の周辺には、ホテルは目立つところにありました。
ところが、デパートや駅ビルはおろか、スーパーマーケットもひとつもありませんでした。
郊外には「イオン」や「マックスバリュー」があるようですが、駅から歩いて行けるところには見当たりませんでした。

コンビニは少しはありましたが、いわゆる毎日の生活に必要な八百屋、肉屋、パン屋などもあまり見かけませんでした。
松阪の人は、いったいどこで買い物をしているのでしょうか。

江戸時代に栄えたという町ですが、現在は駅周辺は活気がなく、閉店しているようなお店が多く見られました。

これが日本の地方都市の現状なのでしょうか。

また、松阪市にはJRや近鉄はありますが、バスは一日に数本、あるいは1時間に1本くらいしか通っていませんでした。
地元の人の移動は、車なのでしょうが、地下鉄などに慣れている私にとっては、交通手段がほとんど利用できずに、歩くより仕方ありませんでした。
レンタサイクルが利用できるとよいかもしれませんね。

この町には、見どころはたくさんあると思います。
埴輪が出土した宝塚遺跡も面白そうだし、多くの名産品もあるのに、意外と知られていません。
もう少し、人目につくようになってもらうと嬉しいものです。

地方の実情を知らない私が、あれこれいうのは的外れかもしれませんが、観光協会ではせっかく素敵なパンフレットやチラシを作っているのですから、もう少しアピールして、旅人にも魅力的な町になってもらいたいと思います。


たった一日滞在しただけで、その土地の本来の姿が分かるわけではありませんが、一人の旅人として感じたことをちょっと書ました。
名古屋から新幹線で東京に戻りましたが、東京は人に溢れていました。


これはおまけですが、今度、着物を作るのなら、松阪木綿の着物にしてみようか、と思っているところです。

(これまでの1回目からのシリーズは、ブログの下方にある「アーカイブ」をご覧ください。)



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