先日、夏目漱石の「漱石山房記念館」に寄った▼後は、帰りは別の道で高田馬場まで戻ることにしました。
「漱石山房通り」と名付けられていました。そこは古い東京がありました。
こちらの早稲田小学校▼は、新宿区立とは思えないほど、格調のある建物でした。
暫く歩くと、早稲田通りに突き当たります。
この辺り、八百屋さんがたくさんあり、どこも野菜がとても安くてびっくりしました。長ネギや大根を持ち帰りたいほどでしたが、さすがに電車に持ち込むのは気が引けたので、ぺリロマネスコという黄緑色をした、ブロッコリーのお友達のような野菜を1個だけ買いました。128円だったかしら。安いですよね。
またこの辺りにはイスラム系の住人が多いせいか、あまり見慣れない香辛料なども売られていました。
こういうお店を冷やかしながら歩くのは楽しいですね。
実は中国茶や中国菓子がおいしそうなお店に入りたかったのですが、満席で残念でした。
先日、テレビで都電で行く町歩き番組で放送していたので、それで有名になったのかしら。
いつか、ここで中国製のプリンを食べてみたいのです。
こちらはオムライスがおいしいということでしたが、ランチメニューは曜日によって違うそうで、オムライスにもありつけませんでした。ついていませんね。
実は私の父も、祖父も早稲田大学に通っていました。祖父は大隈重信がいた当時の学生だったようです。
帯は町田天満宮の骨董市で見つけたもの。黒に赤、緑、青などのラメが入っています。使用頻度の高い帯です。
でも、新宿文学散歩には満足したので、お腹の方は諦めることにしました。
こちらは高田馬場跡。徳川家光が旗本たちの馬術の練習のために作ったというところです。堀部安兵衛が決闘をしたことで有名なところですね。
それで私も早稲田大学を受験して、合格しました。ところが早稲田大学は、国立大学の発表前に授業料を納めなくてはいけなくて、それで早稲田は諦めました。もし早稲田に行っていたら、私の人生も違っていたものだろうと思います。
カンカンととりとめのないおしゃべりをしながら歩きましたが、この辺りは微妙に道路にアップダウンがあるところでした。
この日は、1万歩以上、歩いたようです。
新宿区の案内をしてもらったカンカン、ありがとうございました。
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この日の装い。
世田谷ボロ市で見つけた大島紬。大胆な柄です。
自作の金継の帯留をしてみました。
「一日一句」
春風や 思い出ばかりの 町歩く
2 件のコメント:
早稲田文学散歩、一緒に楽しませてもらいました。ありがとうございました。今ではあまり読んでいない日本文学の作家たちを若い時の記憶をたどって楽しかったです。若い人にはもっと読書離れがあるでしょうね。いいものを存続させる努力必要ですね。
中国茶のお店には入れなくて残念でした。最近は高尾の方に足が向いて、近くを歩いていないのですが、再挑戦したいです。
私は次回は樋口一葉の世界を小石川に訪ねてみたいと思っています。
早稲田の中国茶のお店、残念でしたね。私もそのうち、再挑戦したいと思っています。
高尾山のすみれ、可愛いですね。都会に住んでいても、自然を愛でることができるのはラッキーなことですね。
漱石は、有名な小説をたくさん書きましたが、実際に作家として活動したのは
10年くらいだったというのは意外でした。
彼がもう少し長生きしたら、もっといろいろな小説を書けただろうに、残念ですね。
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