早いもので、今年も10月になってしまいました。
「源氏物語を楽しむ会」は、「源氏物語つながりのおしゃべりを楽しむ会」のような感じで、ゆるゆると進めています。
平安時代の身分制度や世襲社会は、現代社会にも繋がっているところがあると思いますね。
また一方、当時の紙の社会と、現代のIT社会のあまりの違いように驚きますが、私達世代はその両方を利用でき、良さも悪さも痛感しています。
さて、物語は、光源氏の長男である夕霧くんがメインになる時代となりました。
彼はもう、元服を迎える年頃です。11歳か12歳です。
彼は母親(葵の上)を亡くしたため、おばあちゃんのところで育てられました。
それで、元服の式も、おばあちゃんのお屋敷ですることになりました。
光源氏のような高貴な人の息子なら、本来は四位(しい)の位になれるのですが、光源氏は思うところがあって、息子を六位にさせることにしました。
当時は官位によって、袍(ほう)の色も決まっていたので、息子は浅葱色(淡い葱の葉の色)の服しか着ることができませんでした。
そして光源氏は、息子には大学で勉学に勤しむようにさせました。当時の大学というところは、現在の大学とは異なり、貧しくても才能のある人が学ぶところでしたので、夕霧にはふさわしくないところでしたが、真面目な夕霧は必死にお勉強したのでした。
光源氏自身は、父親の帝のもとで、音曲や絵画の趣味を楽しみながら成長したのですが、自分の息子には厳しい教育方針でのぞんだのでした。
この物語は、紫式部の父親のことが反映されていると言われています。彼女の父である藤原為時は文人として優れた才能の持ち主でしたが、名家の人ではなかったので、なかなか世の中に認められない人でした。紫式部はそのような親の姿を見ていたので、身分や家柄に関係なく、能力による世の中になってもらいたいという、希望も含まれていると考えられています。
ということで、今回は、男性の装束について、事典を見ながら確認しました。
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この日の装い。
地元の骨董市で見つけた単の銘仙。大きめな井桁模様が気にいっています。
帯は先日、大江戸骨董市で見つけたもの。お月様のような模様です。
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一日一句
夕霧も 勉学励む 神無月
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