2023年5月31日水曜日

玉川上水を歩く その14(小金井橋〜桜橋)追加写真あり

先日は、京王線の笹塚あたりの玉川上水を再度、歩きましたが、それはちょっとしたおまけです。

こちらはメインの「玉川上水を歩く」シリーズの続きで、14回目となります。

今回のルートはこんな感じでした。

13回目は2年前に小金井橋まで行きましたが、その後はずっと中断していました。

2021年4月23日のことでした。

その時に出会った小金井橋近くにあった広重作の桜の風景です。「小金井橋夕照」というタイトルで、富士山とともに小金井橋が描かれています。

その後、玉川上水歩きの計画は何回も立てていましたが、雨が降ったり、コロナ禍が拡大したり、私の体調が良くなかったりなど、様々な理由でそのままになっていました。

さすがに13回まできたので、ほったらかしはまずいと思い、先日、ようやく重い腰を上げて、バスに乗って小金井橋まで向かいました。

この日は5月後半でしたが、朝は肌寒くて、マフラーをしていたくらいです。

まずは京王バスでJR武蔵小金井駅まで行きました。


そして東久留米駅行きの西武バスに乗り換えて、懐かしい小金井橋まで。
玉川上水が小金井市と小平市の境界になっています。


2年ぶりの小金井橋でしたが、以前の姿のままでした。
ちなみにこの橋は、玉川上水ができた頃は木の橋でした。その後、石の橋になり、昭和5年にはレンガの橋、そして平成20年には現在の橋になったそうです。


このあたりは「小金井桜」が有名ですが、最初は徳川八代将軍吉宗の時代に、吉野などの有名な桜を取り寄せて植えたのが始まりだそうです。桜の根は土手の崩壊を防ぐ働きもあるそうで、美観と実用の両方のメリットがあるのですね。

「名勝 小金井櫻」の碑がありました。
大正14年に国の名勝として指定されました。


橋の近くには、そのいわれが詳しく書かれていました。
こちらの桜は江戸時代から長年に渡って、小金井の人々に愛されています。

小金井橋のすぐ西側には、天皇・皇后が行幸された記念の松もありました。


とても大きくて立派な松でした。

明治16年、明治天皇が乗馬で小金井の観桜にお出でになったそうです。それを記念して村人が御在所後に松を植えたのだそうです。


明治天皇、英照皇太后(明治天皇の嫡母)、昭憲皇太后(明治天皇の妻)、大正天皇(皇太子時代)もお出でになったそうです。

少し歩くと、古いお寺がありました。海岸寺(かいがんじ)というお寺でした。このお寺の住職が、この松の由来を記した記念碑を立てたそうです。

笹塚あたりの玉川上水は暗渠となり、川の姿は見えませんでしたが、こちらは川はありますが、その上にジャングルのように木がみっしりとが生えていました。

大きな木の下には、ヒルガオと、小さなドクダミの花が咲いていました。

花は可愛いのですが、蚊が多くて、痒くてたまりませんでした。

上水の両側には遊歩道のような道が続いていましたが、北側の道はすぐそばを五日市街道が通るので、バスや車の通りが結構激しいのでした。


南側の道は住宅街に面していますが、それでも狭い道を車が走るので、ちょっとヒヤヒヤでした。

北側と南側の道は完全に別れていて、真ん中には大きな木々が生えているので、反対側の様子はまるで分かりませんでした。

しばらく行くと、「貫井橋」(ぬくいはし)でした。


シンプルで丈夫そうな橋でした。

お次は「梶野橋」があるはずですが、見落としたようです。

玉川上水の南側の道路には、足元に可愛い桜のタイルがありました。


「上水桜通り」と書かれていました。
ここは、歩きやすい道でした。
桜の季節にはさぞ美しい風景だろうと思いました。


ウスベニアオイの花が可愛い。

次は「茜屋橋」です。

この橋は新小金井街道の交差点のところにありました。


「茜屋橋」は明治元年に架けられたそうです。このあたりは茜の草の栽培が盛んで、茜草を取り仕切る元締めを茜屋と呼んだので、それで名付けられたようです。


木製のような感じの橋で、叙情がありますね。

このあたりから、玉川上水の南北ともに小平市となりました。

次はとても可愛らしい橋でした。見落としそうな橋ですが、信号があったので気づきました。


「小桜橋」は、とても短い橋でした。


昭和48年ということは、もう50年近く昔なのですね。


この近くには、小平市立第三小学校がありました。きっと通学の子どもたちもこの橋を渡って学校にいくのでしょうね。


少し歩くと、マックが見えました。
お腹は空いていませんでしたが、その後は手頃なレストランがなかったので、後から思うと、ここでランチをしておいたほうがよかったのかもしれません。


次は「喜平橋」


小平の新田開発をした喜兵衛さんという人が、この近くに住んでいたようです。今は喜平となっています。

こちらの地図は南北が逆になっていますが、「現在位置」のあたりです。


かなり大きな交差点でした。国分寺街道です。


橋の中央は広場のようになっていました。ちょっと一休みができるようになっていました。

こちらは説明板です。
「桜名所のアクセント空間の形成」とか書いてありました。

この近くのセブンイレブンでトイレ休憩をしました。


やはり、コンビニは便利です。


次は「山家橋」なのですが、画像を間違って消去してしまったようです。かなり細い橋でした。

橋が架けられた年月だけ残っていました。昭和50年9月竣工、だけわかりますね。

だんだんと暖かくなってきました。

お次は「八左衛門橋」です。



喜平町の組頭をつとめた滝島八左衛門という人が架けた橋だそうです。
明治初年に、玉川上水に通船されたとき、船を持っていて、物資の輸送をしたそうです。昔はここには船が通っていたのですね。

この先は一橋学園駅になります。西武多摩湖線が走っています。


線路のすぐ脇に「桜橋」がありました。


橋の近くには鬱蒼とした木々が生えていました。


ここでなかなかよい案内板がありました。
無人スタンドにあったガイドブックもいただいてきました。


お腹がすいてきたので、簡単なランチでもしようと思い、駅に向かって歩きましたが、なかなか適当な店が見当たりませんでした。

結局、一橋学園駅まで歩いてしまいました。


元々の予定では、津田塾大学のある鷹の台まで行きたかったのですが、多摩湖線の駅を見たら、急に疲れてしまい、この日は一橋学園で終えることにしました。

国分寺の駅まで行き、その後はまたバスで府中まで戻って終わりとしました。


今回歩いたところの特徴は、南北に走る太い道路をいくつも横切ったことです。
小金井街道、新小金井街道、国分寺街道、そして西武多摩湖線。
玉川上水はかつてはのんびりとした風景のところで、船も通っていましたが、現在では幹線道路には大きなトラックや車がビュンビュンと走っているのでした。

この次は西武国分寺線の鷹の台まで行く予定です。
羽村までは、そこから先もまだかなりありますね。

***(追記)****

今回、通過したのは以下の橋です。

実は山家橋の画像は私が間違って削除してしまったのですが、川歩き友だちのCさんも同じ頃、この橋を写していたので、画像を頂戴しました。その写真を使わせていただきました。


Cさん、ありがとうございました。

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「一日一句」
夏の道 橋の名で知る 江戸の村


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