2024年6月24日月曜日

多摩丘陵フィールドワーク

ひぇ~、また前回の投稿からかなり間が空いてしまいました。

別に病気で倒れていたというわけではありません。

大学のレポートやらゼミ発表資料に追われていたのでした。

気がつけば、もう6月も後半になってしまいましたね。来週はもう7月になります。

あー、恐ろしい。

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下の写真は、6月5日の青空です。

大学の構内から出発して、その近隣の多摩丘陵をフィールドワークしました。

まぁ、学習兼お散歩といった感じでした。

特別講師の植物学の先生を含めて、一緒に歩いたのは20名くらいだったでしょうか。


下の写真は沼なのですが、大学敷地内の奥の方にあるのです。
このあたり、草ぼうぼうだし、ぬかるみはあるし、蚊や虫がたくさんいて、もう泣きそうになりましたよ。
さすがにこの時は洋服で参加しましたが。


「もうこんなところ歩くのは嫌だ~」と思っていたら、目の前に急が明るくなり、世界が開けました。
なんと大学の敷地との境に、古い神社が現れたのです。
山奥から急に朱色のご神殿が現れたので、びっくり。


八幡神社でした。

こちらが正門です。
私たちは裏口入学してきたわけです。

ご神木もありました。講師の先生から、その木の種類や伝説を解説していただきました。地理と生物学の学習のようでした。


その後、あちこち歩いて、今度は「多摩の上高地」とでも呼ばれるような場所へ到着。

こちらは本家本元の上高地ですが、なんとなく雰囲気が似ていますよね。

         (写真は長野県公式観光サイトより拝借)

私たちが見たところは「小山内裏公園」というところでした。
どうして「内裏」なのか、分かりませんが。
多摩にもお内裏様がいらっしゃったのでしょうか。


多摩は都下ということで、いろいろ開発が遅れていたこともありましたが、びっくりしたのは、この道です。
山奥にかなり広い道幅の道が続いていたのです。


ここは「鮎のみち」と呼ばれています。

なんと江戸時代、津久井湖あたりで釣った鮎を、お江戸の殿様に献上するために走って行った道なんだそうです。
ここから江戸の町までは少なくとも20~30キロほどはあると思うのですが、鮎を持って走った人は、どれほど健脚だったのでしょう。
当時は保冷バッグもないのにね。


このあたり、ドクダミの花がきれいに咲いていました。


あたり一面、ドクダミだらけ。
きっと昔の人は薬用にも使ったのでしょうね。


他にもあちこち歩きましたが、「里山」を体験してきました。

私が興味ある水路もあちこちに見かけましたが、先生にお聞きすると、どうも人工的に作られた水路が多いとのことでした。



ここは多摩ニュータウンでもあるので、そこの住民達に憩いの場を提供するために、水路や巨大な石を配置して、美観的な要素をアップさせている、という面もあるようでした。

話はそれましたが、小山内裏公園は都立公園です。


その公園にある、とても広い道路を通過しました。


なんとこの道は、「戦車道路」という名前だそうです。

その由来は、第二次世界大戦の末期、相模原で作られた戦車を、ここ八王子で試験運行させるために作られた道路なんだそうです。
戦争のために作られた道路と聞いて、ショックを受けました。
今では広々として歩きやすい道なのですが。


あちこち学びながら、2時間ほど歩きました。

ご指導いただいた先生です。
樹木の種類によって、その森の中が明るく見えたり、暗い森になったりする、と言うお話が印象に残りました。
「照葉樹」(しょうようじゅ)という言葉も初めて聞きました。


ということで多摩丘陵の散策は、無事に終了しました。


晴れていて良かったです。
引率された晴れ男の教授に感謝しましょう。

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「一日一句」
新緑を 学んで歩く 多摩の丘

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