連休の間はあちこちの展覧会巡りをしていましたが、5月5日には東京西部の立川市にある国文学研究資料館▼に行ってみました。
ここは、3月、お隣の市で開かれた「三都画家くらべ」▼に行ったときにこちらのポスターを見かけて、行ってみたいと思っていたところです。
「江戸名所と風俗画」です。
国文学研究資料館は立川からモノレールで行きましたが、駅を降りてもなーんにもないところです。
昔は米軍基地だったようです。だだっぴろい敷地が広がっていて、手前には裁判所の建物がありました。
国文学研究資料館はどういう組み合わせなのか、「南極・北極科学館」と「数理・統計研究所」も一緒のビルに入っていました。
そんなわけでこんなペンギンの写真を写してきました。
それにしても国文学を研究するのにはちょいとふさわしくない場所だと思いましたね。
なにも国文学は日本橋のふもとで研究すればいいというわけではありませんが、このように新開発された荒涼としたところで江戸時代の研究ができるのでしょうかね?
文部科学省のサイトをちょっと調べてみましたが「大学共同利用機関法人」というところにいろいろな研究所があるようです。
民俗学研究所
国語研究所
天文台
生理学研究所
遺伝研究所
極地研究所ETC・・・。
それぞれが
大学共同利用機関法人人間文化研究機構
大学共同利用機関法人自然科学研究機構
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構
大学共同利用機関法人情報・システム研究機構
という組織に入っています。
それにしても統計数理研究と国文学がどのようにつながるのか、そしてどうして同じビルの中に入れたのか、文部省の役人に聞いてみたいですね。研究者のことを無視しているように思えました。
なんだかおかしいですよね。
ちょっと話がそれてしまいましたが・・・。
それでもこちらの学芸員さんにはよいお話を伺うことができました。
会場には江戸時代の景観を描いたものや、そこに生活していた人々の資料がたくさん展示してありました。
当時、江戸つまり関東の美景としては隅田川、富士山、筑波山、それに武蔵野だったそうです。
それで江戸を描く絵画というと、必ず真ん中にどーんと富士山があり、手前の関東平野には江戸城があり、隅田川が流れ、日本橋がかかり、右の後方には筑波山が見えるという構図でした。
これが「江戸」だったのですね。
いまだったらさしずめ、東京スカイツリーと都庁のビルでしょうか?
隅田川(以前は角田川と書いていたようです)のお花見風景もありましたが、今のように花見客であふれるというよりも、かなりのんびりした田園風景が描かれていました。
待乳山という吉原の近くの小高い山が描かれていましたが、江戸も初期のころはかなり田舎だった様子がうかがえました。
また年中行事や名所も書かれていました。さしずめ江戸のガイドブックですね。
絵描きさんは鳥の目、虫の目になって都市を描いていたのですね。
面白かったのは当時の有名な料理屋さん「八百善」のお料理本でした。
そして圧巻だったのは職人の姿を描いたものでした。
うなぎやさん、仏具屋さん、豆腐屋さん、染物屋さん、かまぼこ屋さん、キセル屋さん・・・・ありとあらゆる職業の人たちが仕事をしているシーンが描かれていました。
当時は写真はもちろんなかったわけですが、絵を描くことによってその時代の記録が残るというのは素晴らしいことですね。
そして四季折々の風景、とくに夏の隅田川の夕涼み風景はよかったですね。
江戸っ子が江戸の美しさを自慢したくなるのがちょっと分かったような気分になりました。
この日の装いは井桁模様の絣の紬。うたどんさんのお母様からの頂き物です。
帯はベージュ色にピンクのお花。これもいただきもの。
帯揚げは自作の薄い緑色のもの。
帯締めはリサイクルですがベージュのもの。「道明」でしょうか?
締めやすいので良く登場しています。
ちょっと暑い日でしたが、江戸時代の絵画を見るにはやはり着物じゃなくてはね。
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