2018年11月15日木曜日

「江戸・東京を歩く」7

さて、延々と続いている江戸歩きですが、江戸の名残の町名のあるところに来ました。
四谷からお濠の上を少し歩いたところにある紀尾井町です。


幕末の地図には紀尾井坂というのがあり(上の地図で赤く囲んだところ)、この坂を囲むようにして、紀伊殿、尾張殿、井伊掃部頭と記載されています。
嘉永3年(1850年)の地図です。
ここは、言わずと知れた紀州徳川家、尾張徳川家、彦根井伊家のそれぞれの中屋敷があったところです。
それらは現在は赤坂プリンス、上智大学、ホテルニューオータニとなっています。

紀尾井町という町名は、明治になって名付けられたそうです。

ホテルニューオータニ▼が見えてきました。
そしてその入り口にはこんな標識が立っていました。
歴史が感じさせられますね。


ここらで休憩して美味しいケーキでもいただきたいところですが、団体行動なので、そうはいきません。


とても堂々としていますね。


お隣は、邦楽演奏会でよく出かけている紀尾井町ホール▼です。
普段は四ツ谷駅から10分ほど歩いて行きますが、この時は飯田橋から歩いてきたのです。
えらい違いですね。


そこからまたぐるぐると歩きました。
坂が多くて、疲れました。

清水谷公園▼で小休憩を取りました。
ここは元々は、紀州徳川家の庭園だったところです。
清水が湧いたので、清水谷公園と名付けられたそうです。


大きな石碑が目につきました。
これは、大久保利通が明治11年(1878年)に、この近くの紀尾井坂で暗殺されたのを悼んで明治21年に建てられた碑です。
この前年には西郷隆盛が自害していますし、木戸孝允も病死しています。
明治も10年頃までは激動の時代だったのですね。

えーと、こちらはホテルだったと思います。
「東京ガーデンテラス紀尾井町」だと思いますが、確信が持てません。


この後は、赤坂見附まで行って、普通の人が歩かないような高速道路の下を延々と歩いたのでした。

(この項、まだ続きます)

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