2020年10月3日土曜日

「日本庭園の歴史と植栽」

先日、市内の公民館で、非常に面白い「環境講座」を受講しました。

「環境」というとちょっと難しそうですが、こちらの講座は日本国内にあるいろいろな庭園を、その歴史的観点から学ぶ、というもので、どちらかというと文系の内容でした。

講師は、園芸で有名な恵泉女学園大学の准教授の宮内先生という方で、若々しくてさっぱりした感じの先生でした。


この講座ではプリント資料も配布されましたが、先生は日本の地理と歴史、建物が組合わさった内容のアプリを使って、スライドで分かりやすく説明してくださいました。

内容をざっとまとめてみます。

まず、日本で一番古い庭園というのは、なんと飛鳥時代にあったそうです。これは当時の外国人(百済、隋など)に日本の最先端技術を見せるための饗応施設だったようです。

そのことは日本書紀や万葉集にも書かれているそうです。

当時(7世紀ごろ)の庭園には直線の池(四角い池)が作られていましたが、これは海のない奈良県が、海を意識して作ったものなのだとか。

その後、平城京の時代になっても、唐風の庭園は造られて、池では「曲水の宴」が行われていたそうです。ちなみに曲水の宴というのは、水のある庭園で、その流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読んで、次の人へ回すという遊びです。この頃になると池の形も曲線になっていきました。

その後、平安京時代になると、庭は「寝殿造り」という建築様式の一部となりました。そこには寝殿、対屋、釣殿、泉殿などがあり、それぞれの建物は渡殿で繋がれていました。そして寝殿の正面に南庭があり、そこに鑓水を通して池が作られ、周囲には築山が設けられました。

このような唐風から国風への変化は建物以外にも見られます。以前は紫宸殿には梅の花が植えられていましたが、平安時代になると桜に転換したそうです。

この頃にできた源氏物語に登場する「六条院の四季の庭」には、そこに住む女性たちの個性に合わせて四季折々の花が植えられて、素晴らしい庭園でもありました。一番良い東南(春)には紫の上の住まいと、梅、桜、藤、山吹など。西南(秋)は六条御息所の住まいでしたが、そこには彼女の娘の秋好中宮が住み、紅葉などがたくさん植えられていました。西北(冬)には明石の君の住まいがあり、ここには松、竹、コナラなどが植えられているという構想です。

その後、藤原道長の宇治の別荘だった建物が、息子の頼道により、平等院鳳凰堂という寺院になりました。

白河法皇の時代(11世紀)には、浄土庭園というのが生まれました。これは西方浄土にいる阿弥陀如来を対岸から拝むという形式を取っていたそうです。

時代が下り、夢窓疎石(1275-1351)という人が浄土の世界を表す浄土庭園を造るようになりました。この人は鎌倉時代から南北朝時代に生きた人ですが、禅僧であり、作庭家であり、歌人でもあるという人でした。

鎌倉時代には自然の風景を生かして、「近景、中景、遠景」というようにして空間構成をするようになりました。

この頃の庭園は「書院造庭園」と呼ばれて、襖、障子、杉戸などで部屋が区切られるようになりました。また書院の床を背にして座った際に、庭がきれいに見えるような空間デザインをするようになりました。

龍安寺の石庭や、南禅寺金地院などが代表的な庭になります。

この庭を見る位置によって、違った風景が見えるように作られていました。つまり将軍の座る位置と、客の座る位置によって、景色の作りを変えていたそうです。

こちらは公民館の入り口にあった植物です。

この続きは来週になります。

私は植物だけの講義にはあまり興味がありませんが、このように日本史や地理を重ねてのお話でしたので、非常に面白く思いました。

午後の時間帯でしたが、眠ってしまうこともありませんでした。

久しぶりに講義を聞くことができて、満足できました。

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「一日一句」

また学ぶ秋晴れの日に地理歴史



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